メモ-5

おお。前に「メモ-3」の記事で書いたひろゆきが、その内容をブログに書いている。これは面白い。さすが。

ひろゆき@オープンSNS、(2010年5月8日、9日、10日)
人件費と土地代を下げれば、日本の状況はよくなると思うんだよね。
土地課税をして、土地の値段と家賃をさげる話。
土地の値段と家賃を下げて、税収をあげる話 Q&A編

あと、これと関連して、小飼弾のブログの「ずるいとunfairの違い - 書評 - ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか」(2009年12月25日)の記事参照。この記事では「今後10年で最重要なのは、(中略)面白いゲームのルールを描くことなのだ。」と結んでいる。というわけで、今後の東京に必要なのは都市(空間)のルールを変えること(「土地税制の改革」!)なのである。

(これに対して、最近の「消費税増税」政策にせよ、「インフレターゲット」政策にせよ、「ベーシックインカム」にせよ、これらは皆に等しく損をさせる、または皆に等しく再分配をするという論理であり、つまり、この「皆に」を説得性の担保においているだけである。確かに「皆に」等しく安全・安心を保障することは大切であるけど、それだけでは片手落ちなのであり、社会や都市を構成しているゲームルール(構造)も、大胆に変えなければならない。←動画*1

〜さて、ところで、ブログ更新が2ヶ月空いた。最近はドタバタしているというか、今年、某試験を受けるというだけです(w)。僕は同時に2つのことをやるのは得意なんだけど、同時に3つをやるのはちょっと難しい、といったところです。(今週の)月曜に願書を出してきた。あと、一応、昨年末から学校に(週一で)通っていて、日曜には模試(第二回目)を受けてきた。そして自己採点して泣い…てはいないけど(w)、とりあえず、今週から電車の中(←通勤中)でも試験勉強を始めたので、しばらくは「読書」はお休みする。ブログは、これまで読んだ本について、内容を深化させて(ほんとか?)、書こうと思う。

とりあえず、ブログ更新をサボっていた3月〜4月について、メモ。

世界ふれあい街歩き」(NHK)という番組の「コッツウォルズII 〜イギリス〜」(4月23日放送)の回をたまたま見た。「コッツウォルズ」の街については、前に旧ブログ「はちみつ石の景色」で書いているのだけど、この黄色みを帯びた「はちみつ石」の街並みが、赤みのかかった夕日と溶けて(とろけて)混ざり合うという映像はほんとに感動的でした。今も鮮明に覚えている。あと、この街は「19世紀の終わりには芸術の中心」で「ロンドンから芸術家がたくさん来た」と現地の人(絵描き)が語っていて、あ、なるほどね、と思いました。旧ブログ「はちみつ石の景色」、本ブログの「モリスの建築論」の記事参照。

放送大学都市環境デザイン論」(主任講師:仙田満*2+佐藤滋)の第一回「都市再生と都市環境デザイン」(4月1日放送)を見た。番組は香川県高松市の「高松丸亀町商店街」でのロケで、ここは旧ブログの「Integral Project-2」の記事で「実際に行ってみたい」と書いた場所(←まだ行っていない、泣)です。旧ブログの「Integral Project-3」の記事の末尾の「次回書く」リストにも入っているけど、まだ書いてません(泣)。

この「高松丸亀町商店街」は何と400年(!)の歴史がある商店街なのだけど、交通システムが大きく変わった(「瀬戸大橋」が開通した)ことや、近年の都市空間の「郊外化」の影響を受けて、(他の多くの地方都市の駅前商店街と同様に)衰退しつつあった。そこで、地元の人々(民間)が立ち上がり、この本当に由緒のある商店街を、何と「ショッピングモール(のような場所)」に造り変えたんです(!)。この再開発の結果の成否はまだ分からないけど、地元の担当者が「ソフトだけではなくハードも(造り変えなければならない)」と述べていたのがとても印象的でした。これ重要。

そして、この番組の最後に、講師の仙田満は(ダーウィンの生物進化論から引用して)「環境に適合した者が生き残る」*3と述べて講義をまとめた。あと、高松市では(1999年から)「サンポート高松」の工事も進められている。

では、次。

先週、「上海万博」に行って来ました、というのは嘘で(w)、えーと、前に「十九世紀の罠-2」の記事で書いた、デンマークの「BIG」(Bjarke Ingels Group)が設計した「デンマーク館」の写真がこのサイトに載っていた。これCGかと思いました(w)。区別がつきません。とりあえず、前にその記事で貼ったこの動画(の8分52秒〜10分45秒頃)と、最近のこの動画この動画も参照。あと、AFP通信の「コペンハーゲンの人魚姫、上海へ出発 万博で展示」(2010年3月27日)と「人魚姫の像が「骨」に、コペンハーゲン」(2010年4月2日)のニュースも参照。一応、後者のは「エイプリルフール」です(w)。

それから、同サイトの2010年4月23日の記事に「Dance and Music Center in The Hague」の建築コンペの最終16案が載っていた。「メカノー(No.11)」の案と「ザハ・ハディド(No.16)」の案がどうやら有力候補っぽいんだけど、個人的には「トーマス・ラウ(No.14)」の案が面白いなと思いました(動画)。これはイタリアの未来派のボッチョーニの彫刻*4とオランダのデ・スティルのモンドリアンの絵画*5を「組み合わせた」という案です。もちろん、このような方法は得てして深み(奥行き)がないとも言えるんだけど、未来派とデ・スティルそれぞれに固有の「画肌(テクスチュア)」*6のようなものを、空間のあり方の差異に利用している、建築のプログラム(用途、動と静)と関連付けている、というところが案外、構築的(キャラクター的*7)で、ちょっと新鮮に見えました。

とりあえず、僕は「建築論」については、別ブログの「別世界性」の記事以降、結局、全然書いていない(ほとんど「都市論」しか書いていない、泣)ので、何でもいいから書いてみることにした。あと、別ブログの「モーション・タイポグラフィ」の記事で*8、「アイコンと建築の関連について考えてみたい」、でも、「こんなにたくさんの人が言及しているのであれば、…僕は別に考えなくてもいいかも(笑)」と書いたのだけど、あれ以来、誰も言及していないようなので、これも自分で考えることにした。結論を先に言うと、21世紀の建築は「アイコン建築」です(キリッ)。と言っても、まっ、結論以外はまだ何も考えてないけどな(ww)。

では、次。

ケヴィン・リンチ著「時間の中の都市―内部の時間と外部の時間」(2010年)を買った。この本は「1974年に刊行した同名書籍の新装版」で、ケヴィン・リンチの名著「都市のイメージ」も、2007年に「新装版」が刊行されている(僕が持っているのは古書で初版のです)*9。「時間の中の都市―内部の時間と外部の時間」はまだ読み終えてないけど、とりあえず、第1章「都市は変化する」の「ロンドン=一六六六年の大火」と「ハバナ社会主義革命の器」が早速、面白い。そのうちブログに書く。先に第2章「過去の存在」の「時間の根」から少し引用する(P.60-61)。

環境も、法律や習慣に似て、意識的選択をしないでも行動することができる規範を私たちに与えてくれる。私たちは、教会では敬虔になり、海岸では羽をのばす。多くの場合、私たちは特定の認識可能な環境に結びついている行動パターンを反復している。周囲の環境は、その形態によって私たちに一定の行動を奨励している。(中略)したがって、(中略)社会的連続性を維持するためには、過去から伝えられてきた環境の中で古くからの行動を反復する方法が効果をもっている。クロード・レビ=ストロースは、宣教師たちがボロロ族*10にその居住地の伝統的な円形配置を捨てさせることによって、彼らの文化の方向性まで見失わせてしまった例を記録している。

上記の「見失わせてしまった例」は「ボロロ族の集落」の記事参照。というわけで、ケヴィン・リンチレヴィ=ストロースの関連性をやっと(!)確認することができた(前著の「都市のイメージ」では、レヴィ=ストロースについては書かれてない)。

あと、(上記の)引用は、ケヴィン・リンチの考え方の基本をよく表していると思う。あと、念のため、ケヴィン・リンチは20世紀後半の「車社会化」を全く否定してません。前に別ブログの「雑記5」の記事でも書いたんだけど*11ケヴィン・リンチ著「都市のイメージ」は、都市環境の工学的変化(車社会化)によって生まれた「新しい場所」(アメリカの都市)でも(上記の)「社会的連続性を維持する」ことができる、または、そのように都市を造り変えることができる、と書いてある本です。あとそれから、第7章「変化の視覚化」では、イタリア未来派のジャコモ・バッラ*12についても書かれている。まだ読んでないけどな。

(追記。前に「環境のイメージ」と別ブログの「雑記6」の記事で、ケヴィン・リンチは著書「都市のイメージ」で「苦慮している」と書いたんだけど、この「苦慮」をさらっと回避すれば、著書「都市のイメージ」は、近年の「リバタリアンパターナリズム」の文脈ときれいに接続できる、ということに気づいた*13。でも、冒頭の都市の「土地税制の改革」と比べれば、取るに足らないことである。)

さて、ジェイン・ジェイコブズ著「アメリカ大都市の死と生」(2010年、新版)*14を読んだ。この本は結構、長い(分厚い)んだけど、一気に読めた、というか、読み進めながらジェイコブズの思想の「コツ」を習得していくというような本でした*15。でも、「コツ」を習得した後で、それを「気に入る」かどうかは結構、人それぞれなんだと思う。僕はもちろん、えーと、ノーコメントです(w)。と言うのも、巻末の山形浩生の「訳者解説」*16によると、この本は僕が旧ブログの「Integral Project-3」の記事の5で批判した「日本のサヨク」の「バイブル」だったらしいんです。

まっ、とりあえず、「日本のサヨク」は「ハバナ革命軍」の爪の垢を煎じて飲んだらいいと思うよ(冗談ですw)。ところで、読書には、「内在的アプローチ」(テクスト分析)と「外在的アプローチ」(テクストを取り巻く世界の分析)がある*17んだけど、僕はこの本の後者の現在進行形を知りません。「経済学」では、かなり再評価がされている*18んだけど、まっ、しばらく様子見する(w)。*19

いずれにせよ、ジェイコブズの都市を「観察」する目と耳は凄いと思いました。とくに第18章「都市の侵食か自動車の削減か」は、僕が考えているようなこと*20と割とよく似ていて驚いた、というか、これは嬉しい驚きです(w)。あと、第19章「視覚的秩序――その限界と可能性」では、ケヴィン・リンチ著「都市のイメージ」を、かなり好意的に言及している(ちなみに、ジェイコブズは1916年生まれ、リンチは1918年生まれ)。あと、別ブログの「ノエル」の記事の5で、「(ジェイコブズは)ハワードとル・コルビュジエを同時に批判した」と一行だけ書いたんだけど、確かにハワードへの攻撃はすごかった。結論を言えば、ジェイコブズの批判は正しい。でも、僕はハワードを擁護する、というか、「都市論」以前に、これは思考パターン(の違い)の問題だと思う。

(追記。「明日の田園都市-2」の記事では、「ハワードの「田園都市」の都市モデルは、「良きイギリス人」を(そこに暮らす)人間像においている」、「ル・コルビュジエが想定した人間は(合理的な)「近代人」である」と書いたんだけど、単純にハワードもル・コルビュジエも「人間」を見誤っている。現実の都市に暮らす「人間」が皆、「良きイギリス人」だったり(合理的な)「近代人」だったりするはずがなく、「犯罪者」だっている。ジェイコブズは「アメリカ大都市の死と生」で、犯罪を予防するために、都市に「多様性」が必要なのだと論じている。でも一方、近年の「数学」や「経済学」では、より人間的な「人間」のモデルを用いている。「都市論」もそうあるべき。)

あと、ジェイコブズのこの本を読んでいるときはずっと、ニューヨークへ行ったときのことを思い出していた、懐かしいような、全然覚えていないような(え?w)。ニューヨークの街路はアンチョビ臭かった(w)。*21

では、次。少しペースを上げる。

他には、行動経済学の本とか構造主義の本とか暗黙知の本を読んだ。あと、「週刊東洋経済 「鉄道」新世紀」(2010年4月3日)が意外と面白かった。そのうち詳しくブログに書くけど、とりあえず、「(前略)とりわけ厳しい状況に追い込まれているのが地方の鉄道である。(中略)道路の整備が進み自家用車やバスが便利になったことも鉄道離れに拍車をかけた。(中略)この動きに民主党政権の公約である高速道路の無料化政策が追い討ちをかける。(中略)地方鉄道の息の根を止める結果にもなりかねない。」(P.46)んです。*22

民主党には、それが何のスイッチであるかを分かってないまま押しちゃいそうな怖さがある(そのスイッチは押すなよ)。来月からの高速道路「上限2000円」は、妥当だと思う。または、人間の知覚は対数関数(T=log(1+t))なので*23、走行距離と料金の関係を、そのように設定しても良いのかも知れない。あと、「未来の電車はこうなる!」と「誰が電車をデザインするのか?」(建築家もデザインしている*24)と「大手私鉄や地下鉄のジレンマ」(朝夕のラッシュが解消しない理由)と「和歌山電鐵貴志川線」(動画)の記事も面白かった。*25

あと、「思想地図〈vol.5〉特集・社会の批評」(2010年)の「3.社会の数理」の「推論の限界―経済危機を相互推論モデルで読み解く」(小島寛之)と「統計学で社会を捉える―数理構造と可能性」(星野伸明)を読んだ。それから、横浜美術館で開催中の「ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡」を見てきた*26。ついでに、に乗ってきた(w)。あと、首都高速中央環状線山手トンネル(3号渋谷線〜4号新宿線)がいつの間にか開通していて驚いた(動画←超カッコいいです)。

以上(!)。

次回は、前回(と言っても、2ヶ月前だけど)の「明日の田園都市-3」の記事の追記で書いた、クリス・アンダーソン著「フリー〜〈無料〉からお金を生みだす新戦略」(2009年)から書く。この本はほんと面白いです。とくに第13章「(ときには)ムダもいい」(ユーチューブとか)と第14章「フリー・ワールド」(中国市場とか)が面白い。21世紀のデファクト・スタンダードが僕にも見えました(ほんとか?w)。

「ハイブリッド世界の本質(仮題)」に続くー

ハイブリッド世界の本質」に続く。

*1:PerfumeGAME、2008年。歌詞→「play the GAME / try the new world / let's play the game」

*2:闘うレヴィ=ストロース」注釈11の記事参照。「新建築2010年4月号」の巻頭の「建築基本法から都市建築基本法へ」(仙田満)も興味深い。あと、同号の特集「東京2010」の建築家・西沢大良のインタビュー「東京のマスタープランと建築型(ビルディングタイプ)」も興味深い。また今度、改めて書く。

*3:吉村仁著「強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論」(2009年)

*4:Unique Forms of Continuity in Space」(ウンベルト・ボッチョーニ、1913年)。別ブログの「」の記事参照

*5:Broadway Boogie Woogie」(ピエト・モンドリアン、1943年)。旧ブログの「グローバリゼーション-3」の記事参照

*6:旧ブログの「ざっきFIn-2」、「ベビーズム-3」の記事参照(「画肌」)

*7:旧ブログの「Integral Project-2」の記事参照(「まんが・アニメ的リアリズム」、大塚英志

*8:別ブログの「イオンレイクタウン」注釈3の記事参照(「アイコン」、磯崎新)。あと、「ユルバニスム」の記事参照(「アイコニック・アーキテクチャ」、磯崎新

*9:環境のイメージ」の記事参照(「ケヴィン・リンチの本は入手しづらいのが難点」)。「新装版」が続々と出るのは嬉しい。

*10:悲しき熱帯II」、「ボロロ族の集落」、「ボロロ族の集落-2」、「ボロロ族の装飾」の記事参照

*11:ユルバニスム」注釈12の記事参照(Perfumeワンルーム・ディスコ、2009年、動画

*12:旧ブログの「写真銃-1」の記事参照(「鎖に繋がれた犬のダイナミズム」、ジャコモ・バッラ、1912年)

*13:メモ」注釈5の記事参照(「空気を指定してあげなければならない」)

*14:メモ-4」の記事参照。ところで、今後は表記を「ジェイン・ジェイコブズ」で統一する(キリッ)。でも、「ジェイン」だったり「ジェーン」だったり、「ジェイコブズ」だったり「ジェイコブス」だったり「ジェコブス」だったり、検索に困ります(泣)。

*15:cf. 「明日の田園都市」の記事参照(「この本(ハワード著「明日の田園都市」)を読み切るのは、結構、大変なんです(w)。だが、そこがいい。」)

*16:「(前略)一方で、本書に勇気づけられた市民運動の高まりで行政が弱腰になり、インフラ投資が軽視され、専門家の有益な意見まで否定されてしまい、いまや過度の住民エゴが都市の発展を阻害している、という批判も聞かれる。前出のモーゼスは、その強引な手法こそ嫌われたものの、現代ニューヨークの骨格となる多数のインフラを整備した。そしてそれは一九六〇年代以降のニューヨークの復活に(おそらくジェイコブズよりも)大きく貢献した。いまやモーゼスに対する再評価の声も盛り上がりつつある。もちろん、住民エゴまでジェイコブズのせいにするのは酷だ。しかし本書がそうした動きにお墨付きを与えているのもまちがいない。ドグマを否定した彼女が、新たなドグマに貢献する――皮肉ながら、これも歴史の必然なのかもしれない。」(山形浩生、「訳者解説」、P.487)

*17:竹内洋著「社会学の名著30」(2008年、P.46)

*18:メモ-4」、別ブログの「フロリダ」の記事参照

*19:旧ブログの「Kinkyo-2」の記事参照(「「富士山は美しい」と書いて「君はナショナリストだ」と読まれるとしたらややこしい。」)

*20:別ブログの「マンハッタンのゆくえ(前)」、「マンハッタンのゆくえ(後)」、「雑記3」、「雑記4」の記事参照

*21:旧ブログの「ニュー摩天楼-2」、「Material World-5」の記事参照

*22:別ブログの「クルーグマン」、「フロリダ」の記事参照(「高速道路の無料化」)

*23:「人間の刺激と知覚の関係は、対数関数logであらわすことができる。これをウェバー・フェヒナー法則と呼ぶ。待ち時間が4年、8年、16年と経過しても、心理的には2倍、3倍、4倍程度に感じられる。つまり、入力がn乗になっても、出力はn倍で表されるわけである。」(依田高典著「行動経済学―感情に揺れる経済心理」(2010年)、P.83)

*24:小田急50000形電車」(岡部憲明)、「南海50000系電車(ラピート)」(若林広幸

*25:モダン・ライフ」、「メモ-4」、「明日の田園都市-2」注釈3の記事参照(「鉄道」)

*26:日食」(ポンペイ)、「ギリシャ型とローマ型」(古代ローマ)の記事参照