十九世紀の罠

(前回の「レッセフェールの教訓」の続き)

中央公論2010年1月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田 彰)より、メモ。

  • 十九世紀の罠に落ちた世界

蓮實重彦:(前略)十九世紀が二十世紀の世紀末をじわりじわりと侵食していることは、手応えでわかっていましたが、二十一世紀に入って、これほど堂々と十九世紀が世界を覆うとは思わなかった。
(中略)「十九世紀」と言っても、フランス革命ではなく、一八四八年の二月革命の頃から始まる十九世紀が問題なのです。この「近代」は、われわれがよく言っているように、ポストモダンなしにはありえない近代です。そして、その近代がじわりじわりと日本を侵食し、ついに二十一世紀のいま、世界は完全に十九世紀の罠に落ちたという感じがしている。(中略)二十世紀末のポストモダンの議論など、その退屈な反復にすぎない。
浅田彰:(中略)十九世紀初めの頃は、規範がなくなったから何でも自由にできるという楽観が強かった。それに対し、一八四八年の二月革命から五一年のルイ・ナポレオンのクー・デタに至るプロセスを経て、規範がなくて何でもできるが故に何をやっても意味がない、何もできないということになり、ある意味でポストモダンなその地点から出発するのが真正のモダニズムであるということになった。マルクスその人も、そういう場所から出発したはずです。
(中略)したがって何もできない状況が、もう一回、裸の現実としてせり上がってきた。よく「ゼロ年代」と言われているような事象は、その日本における現れでしょうね。

社会学者の稲葉振一郎は、「社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか」(2009年)の第7講「モダニズムの精神」(と第11講「危機についての学問」)で、「モダニズムとは近代の自意識である」と説明し、それ以前の、「近代」の理想の実現可能性が疑われなかった「素直な近代」と明確に区別している。*1

  • 資本主義者がいなくなった

浅田:(中略)資本主義がなぜこうしてサヴァイヴしえたかと言えば、社会主義なりファシズムなりと対立しつつ学習したからです。ケインズにしても、社会主義に勝つためには政府介入とセーフティ・ネットが必要であると言い、それを実践した。日本でも、マルクスを体系化した宇野経済学を学び、資本主義の矛盾を熟知した官僚や政治家、あるいは経営者たちが、そういうことをやってきた。資本主義というのはたえず危機をはらんだシステムであり、蓮實さんの言われる本当の資本家というのは、敵と闘いながら学ぶべきは学んで自己修正し危機管理にあたる人なんですね。
蓮實:(中略)いまの日本には「エコ」というかけ声が何でもありの一形態として席巻していますが、持続可能性という概念が資本主義と矛盾しないと強調する経営者も政治家もあまり見かけない。

  • 民主主義はいい加減なもの

浅田:十分に合理的かつ民主的な選挙方式は存在しないというのが、フランス大革命時代のコンドルセ以来の問題で、市場の一般均衡分析を完成したケネス・アローが、他方でそのような選挙方式の不可能性を原理的に証明していることは、あらためて強調しておくべきでしょう。
 そもそも、多数決は、社会を乱暴に均質化しランダムな数の戯れに委ねる悪しき形式主義であるというのが、典型的にはヘーゲルの批判で、それがマルクスに受け継がれる。
(中略)クロード・ルフォールのような反全体主義の政治哲学者は、社会が数に還元され、空位の中心がランダムな数の戯れによって一時的に満たされる、このいい加減さが民主主義の本質であり、全体主義批判の裏面としてそれをあえて肯定しようとした。(中略)これは二十世紀の一つの教訓だったとは思うんです。
 しかし、そこに居直ってしまっていいのか。しかも、アメリカのポールスター(世論調査員)がやるような綿密な世論調査が一般化し、ネット社会になってその精度が上がると、ランダムな数の戯れだったはずのものをマーケティング的・世論操作的にコントロールする、つまりデタラメなものを真面目にプレイするということになってくる。チャーチルルフォールの言っていたのとは違う意味で、それが、二十一世紀の選挙でさまざまな病的様相をもたらしているように思いますね。

以上。

というわけで、宮台真司福山哲郎著「民主主義が一度もなかった国・日本」(2009年)を読み始める。先週は、読書が進まないドタバタ。

十九世紀の罠-2」に続くー。

*1:補足しておく。「素直な近代」とは、「一八世紀の『啓蒙』の時代の思想家たちに分かりやすく表れているような理念(中略)が広く理想として受け入れられ、目指された時代」を指す。しかし、「理想が少しずつ実現していくにつれ、社会は透明で見通しやすくなるどころか、かえって不透明になっていった。(中略)個人の外側にあって個人を制限する『社会的なるもの』のイメージに人々はとりつかれ始めた」。そして、後の「モダニズム」とは、「マルクス主義以上に徹底して、こうした『素直な近代』の楽観主義――さまざまな『個人主義』『自由主義』の間の予定調和への漠然とした期待――を批判する意識だった」(同書、P.205-206)。あと、建築のモダニズムについては、著者は「(前略)今日的な高層ビルの理念の父ともいうべき有名なル=コルビュジエの仕事などにはっきりと体現されていますが、それはもはやある場所に――大地の上、空間の中に――家や建物を建てるというより、空間そのものを組織することを志向しています。(中略)モダニズム建築は、ものを作るのではなく、ものがその中に存在する『空間』そのものを作ることへとシフトしようとする運動なのです」と述べている(P.131-132)。ル・コルビュジエの「ドミノ・システム」(1914年)や「300万人のための現代都市」(1922年)はまさにその象徴である。「ギリシャ型とローマ型」、別ブログの「別世界性」(リートフェルト)、「アルチュセール」、旧ブログの「ベビーズム-6」、「スケーリング-1」、「Natural World-2」、「World of Tomorrowの補足」、「Integral Project-2」の記事参照