モダン・ライフ

Blur(ブラー)の2ndアルバム「Modern Life Is Rubbish」(1993年)。

モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ

モダン・ライフはガラクタです(キリッ

 後期ヴィクトリア朝エドワード朝のイギリスでは、工場制機械生産に密接に関係しながら、中流階級核家族による職住分離という生活様式、即ちモダン・ライフが確立され、そうして分離された「職」と「住」を収める新たな建築が要求されるようになった。
(中略)中流階級とは、有閑階級と労働者階級の文字通り「中間」として位置付けられる。有閑階級とは、所有する土地から地代という不労所得を得る階級であり、労働者階級とは、農業であれ工業であれ身体労働によって賃金を得る階級である。それらの「中間」にある中流階級は、商業・工業資産家=ブルジョワジーと専門職という頭脳労働に従事する階級であるが、彼らは労働と余暇のいずれかに偏するのではなく、一日を労働―余暇に切り分ける生活を営むようになった。(中略)労働を共有する単位であった大家族が、夫の労働のみで扶養され、余暇だけを共有する単位としての核家族へと解体されたと言い換えることができる。L・ストーンによると、古い大家族は、親族、隣人、友人という「外」に対して開かれていたのに対し、平等な友愛結婚と長寿化により、夫―妻―子という「内」の情緒的絆が強化された新たな家族、即ち「内向的に閉鎖された核家族」が生み出されたとされるが、その情緒的絆が一家団欒という余暇によって育まれていったのである。
 そうした労働―余暇の時間的分離は、両者の空間的分離・即ち職住分離を伴うことは必定であろう。(中略)労働の場である都心の商店と余暇の場である郊外の住宅とが空間的に分離され、そこで必然的に生じる移動時間が、盛期ヴィクトリア朝には、最初の交通基盤―鉄道によって短縮されるようになった。その結果、住宅は労働―余暇を包含したものから、余暇を収めるものへ変化した。(中略)第二次・第三次産業の労働に従事する者にとっての余暇が、第一次産業=農業のシミュレーションとしての園芸であった事実は、興味深い。(中略)中流階級は、園芸を農業経営者としての有閑階級の生活を縮約したものと見做し、憧憬したのである。
(中略)大量の商品が生産、輸送、消費されるにつれ、それに伴う大量の事務作業を捌くことのできる組織=株式会社と、空間=オフィスビルが必要とされ、かつては個人商店兼本宅が建っていた都心の敷地に建てられるようになった。(中略)美術館、劇場、百貨店、ティールーム、ホテル―金がありさえすれば誰もが一時的に有閑階級のごとく振る舞えるような、有閑階級のタウン・ハウスの代用品―など新しい余暇の場も作られ、郊外の住宅に住む妻子も折に触れ都心に出てきては、家族で健全な余暇を楽しめるようになった。
(中略)かくして有閑階級と労働者階級の「中間」たる中間階級のモダン・ライフが、最新技術による都市基盤の助けを借りながら、都心と田園の「中間」たる郊外を水平方向に押し広げ、やがては都心を垂直方向に押し上げていくことになる。モダン・シティーが胎動し始めたのである。

片木篤著「アーツ・アンド・クラフツの建築」(2006年)より。