レッセフェールの教訓

新建築2009年11月号、「レッセフェール」(桐敷真次郎)より、メモ。

(前略)「市民の王」と呼ばれたルイ・フィリップ(1773-1850、在位1830-48)はアダム・スミスの「見えざる神の手」とジェレミーベンサムの「最大多数の最大幸福」を信じて、ブルジョワジーの勝手放題を許した。やがて彼らのあまりの横暴とそれに反発する庶民の不満に気づき、反動に転じた時はすでに遅く、労働者・農民・知識人・学生による二月革命(1848)が起こってイギリスに逃亡、2年後に死んだ。革命はたちまちヨーロッパ全土に波及し、フランスの王制に終止符を打った。
(中略)以後、民主主義を奉ずる国民国家は、自由放任主義の容認と規制のバランスを常に適切にとることを至上課題とするようになった。*1

桐敷真次郎という方は、高名な建築史家で、1926年生まれです。

(中略)独立心を失うことなく自営している商店主や工場主や農民はいわば国の宝である。それなのに、グローバル化の一環と称してやたらに超大型店舗を認可するのは、中央政府の政策としても地方自治体の都市計画としてもおかしい。巨大量販店が商店街をシャッター通りにし、米屋、酒屋、タバコ屋を次々と潰していることは誰も眼にも明らかだからだ。企業が勝手に工場を海外に移せば、国内の失業者が増えるのは当然であろう。どことなく人身売買に似た人材派遣の放任もおかしい。やたらチェーン店を増やして同業者を駆逐し、それを成功だと思っている事業家も狂っている。国民生活を急速に不安定にしたのも、バブルの元凶だった銀行が未だに平然と強いているゼロ金利ではないのか。
(中略)やはり、ルイ・フィリップが身をもって示してくれた「レッセフェール」の教訓を再確認することが必要になっている。

グローバル化*2の否定は、あまり現実的ではないけれど、貧困がグローバリゼーションのプロセスと密接に結びついている、とも言われている。いずれにせよ、これからの「国土」全体のあり方を考えて行く必要はある。

以上。「十九世紀の罠」に続く。

(追記)

ル・コルビュジエの「祖先はフランスから亡命したカルヴァン派教徒であり、祖父は二月革命の指導者の一人だった」。*3

ル・コルビュジエの出身地のラ・ショー・ド・フォンは、「ジャン・ジャック・ルソー*4アナーキストバクーニンクロポスキンといった社会改良をめざす亡命者たちを惹きつけ、さらにレーニンさえもラ・ショーにやってきて、この都市の独特な性格を賛美している(中略)。ラ・ショーは十九世紀においてヨーロッパのアナーキズムの中心地であった」*5

意外なつながり。うーん。。

*1:別ブログの「ノエル」4の記事参照

*2:ユルバニスム」、「新建築2009年12月号」、「「計画」と「規制」」の記事参照。あと、旧ブログの「グローバリゼーション(写真集)」、「写真銃-3」(飛行機の教訓)、「Natural World-2]」(「このプロペラ以上のものを誰がなしえるというんだ」、1908年)、「Natural World-4」(飛行機の歴史)、「Airplane House」(飛行機の家)、「Integral Project-3」(最新の計画都市、「飛行機的リアリズム」、動画または動画)、別ブログの「タタ・モーターズ」、「イケア」、「フロリダ」(「世界はフラットではない」)も参照。おまけで、ル・コルビュジエは飛行機をテーマとした写真集「AIRCRAFT」(1935年)で、「飛行機は新時代の象徴となる。機械の進歩という巨大なピラミッドの上に、新時代を切り開き、全速力でそこに直進していく。100年ほど前に手探りで始まった、情熱に満ちた準備の時代に施された機械改良によって、数千年にわたる文明の礎は破壊された。今日、われわれの目の前にあるのは、機械文明という新時代の支配である。空を往く飛行機は、平凡なものの上空を、われわれの心を乗せて飛ぶ。飛行機のおかげでわれわれは鳥の視点を持つことができた。目がはっきりと物事をとらえるとき、人は澄み切った心で決断する」と述べている。あっ、「グローバル化」に関する注釈が、ほぼ「飛行機」に関する話になっている、気のせい気のせい(w)。まっ、ル・コルビュジエと「グローバル化」に関しては、ル・コルビュジエ著「ユルバニスム」(1925年)第1部の「われわれの手段」での“ダムの教え”の挿話のほうが良い。引用すると、「(前略)近寄って調べてみよう。それは、あらゆる発明家の国際的な寄り合いである。鋼索の巻枠には『フランス』、機関車には『ライプチッヒ』、足場とシュートに『アメリカ合衆国』、電気機械に『スイス』と書いてある。(中略)考えてみれば、奇蹟が分かろう――今日、世界は協力しているのだ。それが巧みな発明であれば、すべてのものに取って替わり、侵入し、勝つ。(中略)われわれは、人間が獲得したものの総計である道具を手にしている。(中略)以上が、ダムの教えである」(P.140)。

*3:倉方俊輔著「吉阪隆正とル・コルビュジエ

*4:メモ-2」の記事参照

*5:チャールズ・ジェンクス著「ル・コルビュジエ