悪徳と美の館

(「ダ・ヴィンチの理想都市」の補足)

 ルネッサンスの建築様式は、それまでの中世ゴシック様式から離れて、古典古代の建築の言葉と文法を復興し、それらによってルネッサンス時代特有のメッセージを語ることによって生みだされた。都市もまたそうした文脈のなかで再構築される必要があったのであり、「理想都市」はそのためのモデルを提供したのである。

フィラレーテの理想都市について。前記事と同じく、長尾重武著「建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ―ルネッサンス期の理想都市像」(1994年)より。


 レオナルドがミラノに来る二〇年ほど前、建築家フィラレーテがミラノで、「理想都市」の構想をめぐらしていた。

(中略)計画されるべき都市の形態を円形で示したのは、フィラレーテであり、「スフォルツィンダ」と名付けられた理想都市を、円形を基にして相互貫入する八頂点の星形として構想したのである。(中略)もはや中世都市のように宗教施設が優位を占めるのではなく、広大な中心広場に面するのは、かつてのように大聖堂などの宗教的建築でもなく、市民の倫理を高めるための「悪徳と美の館」である。

「悪徳と美の館」!?

 すなわち、宗教的見地からではなく、人間のための理想的な都市という、それまでになかった考え方を表明したものであった。「悪徳と美の館」は、正方形の基壇の上に円形平面の建物が一〇層の高さにそびえ、最上部に美徳の像を戴いている。低層部には講義室と売春宿が、上層部には研究アカデミー、最上部は占星術の研究所が想定されている。

(中略)「スフォルツィンダ」の重要性は、包括的な内容を持つ都市を明快な形で示した最初の例だということにあり、それゆえ、後の構想にきわめて大きな影響を及ぼすのである。

これは、凄いかも知れない。

(以上)

ところで、カール・マンハイムの「イデオロギーとユートピア」を読み始める*1。まだ「英語版序文」の途中なのだけど、意外と読みやすくて驚く。でも本論は難解かも知れない。とりあえず、翻訳者・徳永恂による「前書き」から引用する。

ユートピア

 語源的には、否定を表すU(ユー)と場所を表すトポスとを結びつけた合成語で、「ありもしない場所」を意味する。しかしなぜ非在の場所なぞがわざわざイメージされるかというと、それが「あってほしい」場所だからであり、そこから「理想社会についての願望像」という意味が生まれてきて、トーマス・モア以来さまざまのユートピア物語が書かれてきたことは、よく知られているだろう。

イデオロギー

 語源的にはイデアとロゴスをつないで合成された近代フランスの産物。(中略)フランス革命後、当時の進歩的文化人だったこういう人たち(引用者註・観念論者(イデオローグ)のこと)が、帝位についたナポレオンを批判したのに対して、ナポレオンが「あのイデオローグたちに現実がわかるか」と非難のレッテルを貼ったところから、「イデオロギー」には、「現実知らずの」とか「実相を歪める」とかいうマイナスの意味が付着するようになったらしい。

つまり、「ユートピア」も「イデオロギー」のどちらも「虚偽の意識」であり、その両者を組み合わせて論じているところがこの本のポイントであるらしい。今月読む。

*1:木賃アパートと団地」の記事参照