ダ・ヴィンチの理想都市

(「理想都市」の続き)

長尾重武著「建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ―ルネッサンス期の理想都市像」(1994年)より。

 レオナルドはなにか先入観にもとづいて考えているのではなく、眼前の混乱、無秩序にたいして挑戦し、都市の人々を、あらためて秩序と威厳へと返してやることを構想した。彼らを混乱から、また汚らしさや不安から救い出すことをめざしたのである。フィラレーテやフランチェスコ・ディ・ジョルジョのような単純な抽象であったりするわけではない。彼らの都市のイメージは、固定した中心から放射状に伸びる街路と、多角形の輪郭を明快なパターンによる都市であった。

 これにたいしてレオナルドは、都市生活にとってちょうど血液が流れるように、コミュニケーションやサービスの複合的なネットワークの計画を行っているのだ。その意味で彼は近代的な最初の都市計画家であるといってもいいように思われる。

ダ・ヴィンチは「近代的な最初の都市計画家」であった。(フィラレーテの理想都市も興味深いのだけど、これはまた今度書くとする)

(6月8日追加。「フィラレーテの理想都市」は「悪徳と美の館」の記事参照)

立体交差―道路

 レオナルドが提案する道路のシステムは、まったく独創的である。実際、大胆すぎる。交通の流れを整然とするために、「高いところにある、あるいは吊ってある道路」と、「低いところにあったり、地下にある道路」を提案するのである。さらに、上の道路には、

「荷馬車やそれに類するものは通ってはならない。それは紳士淑女のためだけにつくられているからである。低い道路には、人々の便宜を計るために使われる荷馬車やその他の荷物が通らなければならない」

 ここでは、明らかに主要な道路とサービスのための道路が明確に分離されている。そしてそれらは互いに交わることなく立体交差しているのである。

建築


 またある紙葉には、とても美しい住宅が描かれ、二つの道路の立体交差の様子が詳細に示されている。上の道路のレベルが、住宅の二階レベルに一致し、二階レベルには、支柱で高められた中庭風のテラスがある。排水用の溝が道路中央を走り、それが連続的な線として描かれており(左側の道路)、(中略)下のレベルには、下の道路と低い壁でへだてられた中庭がある。この低い壁には馬車も通れるくらいの入り口がある。

運河

 レオナルドの理想都市では道路が上・下に立体交差しているだけではない。それらよりもう一層下に運河が考えられており、そのため少なくとも三層の構成になっている。このように垂直的な都市の構想は、それまでに例を見ない。

(中略)レオナルドはある紙葉にほぼ正方形で格子状に直行する線を描いているが、(中略)これは道路網を示したものではなく、水路網を表したもの(中略)である。(中略)同じ紙葉の左側には紡錘形をした同じく運河のシステムが描かれ、平行に走る主要な運河が、互いに直交する小運河によって結ばれ、水の流れを保証している。


つまり、

 レオナルドの理想都市のイメージは、立体交差する道路網や運河とそれらに関係づけられた建築のあり方に最も大きな特徴がある。(中略)レオナルドの「理想都市」はみごとに機能するメカニズムであり、循環系統がしっかりした人体のようでさえある。

 また、レオナルドの「理想都市」は、やはりミラノの現実を前提にしていると思われる。フィレンツェ以上に混雑し、ついに一四八四年にはペストの大災厄に見舞われたばかりであった。このペストの蔓延は、ミラノの衛生状態の悪さにある、とレオナルドは考えたにちがいなく、そうした現実への提案、問題解決への手がかりを示したというべきであろう。フィラレーテやフランチェスコ・ディ・ジョルジョのように、理想都市を美学的な立場から考えたのではなく、レオナルドは病める都市の現実に対する処方を前提とした政治的な立場に立って、一つの理想的な都市のシステムを構想したのである。

ということです。

(以上)

要するに、ダ・ヴィンチの理想都市は「美学的」ではなく「近代的」(または「工学的」)であったということです。ダ・ヴィンチは他にも「オートマティックな馬小屋」、「組立て式木製パヴィリオン」、「二重螺旋階段」も考案している。あと、「空気遠近法」や「飛行機械」*1等も。

あと、20世紀初頭(400年後)の「未来派*2と関係があるのかも知れない(イタリアつながりで)。それはないか(笑)。

*1:本ブログの「VTOL機」の記事参照

*2:旧ブログの「写真銃-1」、「Natural World-1」と別ブログの「」の記事参照