ボロロ族の集落

(「悲しき熱帯II」の続き)

クロード・レヴィ=ストロース著「悲しき熱帯II」第6部「ボロロ族」より。

 私たちが着いたばかりのケジャラ村は、(中略)サレジオ会の活動があまり及んでいなかった最後の村の一つだった。なぜなら、サレジオ会の宣教師たちは保護局と協力してインディオと植民者のあいだのいざこざを終わらせることに成功したのだが、宣教師たちは、民族誌の優れた調査(中略)を行うと同時に、先住民文化を系統立てて絶滅しようと企てたからである。

うーん。。長い引用になるけど、ざっと書く。

 一方は河で限られ、他の方角はすべて菜園を奥に隠している切れぎれの森に囲まれた空き地の真ん中に、いま私はいる。森の木のあいだからは、その向こうに、急斜面を成した赤い砂岩の丘が幾つか見える。空き地のぐるりは、一列の環状に並んだ、私のに似た小屋――正確には二十六戸の小屋――で占められている。中央には、長さ約二十メートル、幅八メートルの、従って他のものより遥かに大きい小屋がある。これは「バイテマンナゲオ」つまり「男の家」で、独身の男はここで眠り、漁や狩りで男たちの手がふさがっていないか、あるいは踊りの広場で何か公けの儀式をしていない時には、彼らはここに来て一日を過ごすのである。踊りの広場というのは男の家の西の横手にあり、杭で囲まれた楕円形の場所だ。女たちは、男の家への出入りを固く禁じられている。女たちは周縁部に家を持っており、彼女らの夫は、日に何度か、空き地の藪を抜けて通じている細道を辿って、男の集会所と夫婦の住居のあいだを往復するのである。木や屋根の上から見ると、ボロロ族の村は荷車の車輪に似ている*1。家族の住居は輪に当たるであろうし、小径(こみち)は輻(や)を、写真の中央にある男の家は轂(こしき)を模(かたど)っている*2と言えるかもしれない。

 この興味深い家の配置は、村の人口が当時の平均人口(ケジャラでは、およそ百五十人だった)を著しく越えない限り、かつてはすべての村に見られたものだった。その頃は、家族の住居は、一重でなく幾重にもなった同心円の形に配置された。それに、この種の環状集落を持っていたのはボロロ族だけではなかった。細部に若干の変化はあっても、環状集落は、アラグアヤ河とサン・フランシスコ河のあいだの中部ブラジル台地を占めているジェ語族のすべての種族に特徴的なもので、ボロロ族は恐らくその最も南方の代表なのである。*3

(中略)男の家の周りに小屋を環状に配置することは、社会生活や儀礼の慣行にとって、極めて重要な意味をもっているので、ダス・ガルサス河地方のサレジオ会の宣教師たちは、ボロロ族を改宗させるのに最も確かな遣り方は、彼らの集落を放棄させ、家が真っ直ぐ平行に並んでいるような別の集落にすることにある、ということを直ぐに理解した。先住民たちは(中略)彼らの知識の拠りどころとなる村の形を奪われて、急速に仕来りの感覚を失っていった。それは、まるで、彼らの社会組織と宗教組織(中略)があまり複雑なので、集落の配置によって顕在化されている図式なしには済ませられず、彼らの日々の行いが輪郭を果てしなく擦(なぞ)っては甦らせている、とでもいうようだ。

(続く) →「ボロロ族の集落-2

これは、日本の近代化(農村→郊外や団地)とも関係している話ではないかと思う。とりあえず、結論を先に書くと、レヴィ=ストロースは、同書の第9部「回帰」で、ジャン=ジャック・ルソー*4を再評価し、「あらゆる秩序を無に帰した後で、新しい秩序を築くことを可能にするような諸原理をどのようにして見出せるのか」と述べている。詳しくは後述する。

*1:旧ブログの「クリスタルパレス」の記事参照(ウォルト・ディズニーの「EPCOT」、「Mr. Disney said the futuristic city would be laid out like a wheel」、または、この動画の7分30秒〜参照)

*2:旧ブログの「World of Tomorrow の補足」の記事参照(「車の轂」)

*3:ボロロ族の集落の航空写真

*4:旧ブログの「Sweet Dreams」の記事参照(「学問芸術論」)