アルンタ族の風景

(「ボロロ族の装飾」の続き)

ケヴィン・リンチ著「都市のイメージ*1付録Aより。

 環境のイメージについては、古今の文学作品、旅行記、探検記、新聞記事、心理学や人類学の研究論文などといったいろいろな分野において言及されている。
(中略)たとえば人類学者たちが書いたものを読んでみると、原始人はたいてい自分が住んでいる土地の風景に深い愛着を感じていて、あまり重要でない部分さえも見分けて、それらに名前をつけているらしいということがわかる。(中略)環境は原始文化にとって欠くことのできない要素であり、人々は自分の周囲の景色と調和しながら、働き、創造し、遊ぶのである。
(中略)サンタ・クルーズ Santa Cruz 諸島ティコピア Tikopia の住民は次のように語っている。

「土地は残るが人間は死ぬのだ。人間は衰えて、地の下に埋められてしまう。われわれはほんのわずかの間しか生きないのに、土地はいつまでも、そこにあるのだ。」

 これらの環境は非常に意味深いばかりでなく、そのイメージが鮮明なのである。

前に「悲しき熱帯II」の記事で、「ケヴィン・リンチアメリカの『都会人』を、まるで『未開人』を調査しているかのように(面接)調査しています」と書いたけれど、その理由は、同書「付録A」で丹念に説明されている。

 われわれが抱く環境のイメージは、現在でもわれわれの生活に欠かせぬ基本的なものであることに変わりはない。しかし大多数の人々のイメージの鮮明さとかくわしさは、従来よりはるかに減ってきているようである。
(中略)ブラウン Brown によると、非常に人工的でかつ単純なかつ一見無性格な実験室の迷路において、人々は荒削りの板のような単純なランドマークにさえも、それに見慣れたという理由で愛着を感じるようになったということである。
(中略)ある人類学者アルンタ*2の風景について次のように述べている。

「経験のない人には、神話がいかになまなましい現実性を持っているか分かるものではない。われわれが通過した地方は、見たところは一面のマルガのやぶの中にゴムの小川が2、3本、高い丘や低い丘があちこちに、あるいはいくつかの開けた野原があったりするだけのようであったが、土着の歴史のために、ここの風景には活気がみなぎっていたのである。……これらの物語があまりにも真に迫っているので、調査員は、まるでここが人の住むにぎやかな地域である様な、そして人々が急ぎ足で往ったり来たりしているような、感じさえ受けるのである。」

 今日われわれが環境について述べる場合には、座標とか、番号で区別するシステムとか、抽象的な名称などのより組織化された方法を用いているが、それらは往々にしてこのような生き生きとした具体性やまぎれのない形態といった特質を欠いている。

ブラウンという学者の実験結果は興味深い。僕が「荒削りの板」のような景色、すなわち、住宅の工事現場に「愛着」を感じていることも案外、そういう理由かも。*3

アルンタ族の話も示唆に富んでいる。

(続く) →「ジャージーシティ

*1:別ブログの「雑記5」の記事参照

*2:Arunta族、オーストラリアの原住民、アボリジニ

*3:別ブログの「雑記3」の記事参照(「僕は毎日、造成中・建築中の工事現場を通学していた」)