ヴィラ・バルバロ

久々にこの家とご対面した。「ヴィラ・バルバロ*1。僕はこの家、好きなんですよねぇ。中央の棟から左右に両翼がばーんと伸びていて、飛行機みたいでカッコいい。*2

えっと。ヴィトルト・リプチンスキ著「完璧な家」(2005年)、第六章「バルバロ兄弟」より。

アンドレア・パラーディオが設計した「ヴィラ・バルバロ」の施主のバルバロ兄弟は、「ヴェネツィアの貴族階級の中でも上流の一族」で、兄のダニエーレ・バルバロは、ウィトルウィウス*3の翻訳も行っている*4。弟のマルカントーニオは、アマチュアの彫刻家でもある。

 バルバロ兄弟は芸術愛好家でパラーディオの友人であったが、そのことは必ずしも理想的な施主ということにつながらない。彼らがいろいろと提案してはパラーディオを集中攻撃した様子を想像することができる。特にダニエーレは建築に関する経験をかなり持っていたので、うるさかったことであろう。(中略)彼はまたたくさんの建築家と知り合いで、計画中のヴィラに関して、彼らの意見を集めていたという指摘もなされている。このように口出しすることの多い施主は、たとえそれがよい意図にもとづくものであっても、建築家の仕事をかなりやりにくくするものである。パラーディオは後に、建築とは、「誰もが自分なりにわかっていると思いこんでいる仕事」であると書いている。彼の念頭にあったのはバルバロ兄弟にちがいない。

あはは。

 抑制の効かないマルカントーニオが(中略)自分の腕前を試すチャンスを見逃すはずはなかった。(中略)彼はカーサ・デル・パドローネ〔主人の館〕のペディメントのティンパヌム〔三角小間〕をシンボリックな彫刻群で埋めた。

うーん。

 両端のパヴィリオンの巨大な曲線部分は、アルベルティによるフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面の渦巻き飾りを思い起こさせるもので、パラーディオはおそらくこれを見ているはずであるが、やはりこれもヴィラとしては異例である。(中略)このように様式的な変則が多いことから、ヴィラ・バルバロは完全にパラーディオの創造物といえるかどうか疑問をもつに至った歴史家たちもいる。

えぇっ?

 ヴィラ・バルバロはおそらくパラーディオのヴィラの中でも最も見物客の多いヴィラとなっているが、このヴィラが多くの点で彼の代表作とはまったくいえないことを思うと皮肉なことである。パラーディオのヴィラは畑地に囲まれているのが普通で、ここのように庭園に囲まれてはいない。装飾を大量に施した外観には、彼の最良の作品の持つ控えめで、ほとんど禁欲的ともいえるたたずまいが欠けている。いくぶん入り組んだ平面形も、通常の彼の明快さを示してはいない。とはいえ、バルバロ兄弟と仕事をしたことで何らかの不具合が生じたとしても、この共同作業はパラーディオの新しい側面を引き出したように見える。たとえこれが彼の作品の中で最もよくできたヴィラではなかったとしても、これは確かに快活なヴィラである。演劇的で、きらびやかで、豊穣で、そして幸福そうに見える。

幸福ってなんだろうね。。*5

以上、メモ(何のメモだ?)。

(続く)

*1:Villa Barbaro、1554年。航空写真

*2:旧ブログの「Airplane House」の記事参照(「飛行機の家」)

*3:理想都市」の記事参照(ヴィトルヴィウス)

*4:ラテン語のテキストをイタリア語に翻訳して、バルバロ版ウィトルウィウスを出版した(1556年)。この本はヴェネツィアで出版されて、大喝采を浴びる。また、この本でパラーディオは、図解のための挿図を描いている。

*5:雑記6」注釈8の記事参照(「クリエイティブ都市論」の後半)