メモ-3

おお。

これは面白い。*1

ポイントは、1)不労所得の問題、2)都市集中について、3)問題を解くということ。

んで、僕の文脈では、
1)は、エベネザー・ハワード。*2
2)は、リチャード・フロリダ。*3
3)は、まっ、僕の「Z主義」。*4
となる。

うーん、久々にまともな意見を聞いた。というか、まともな意見が隠れつつあるのかもな。

最近、ペット・ショップ・ボーイズの「I'm With Stupid」(2006年)の曲を思い出す。まっ、いずれにせよ、今の東京に必要なのは「土地税制の改革」なのであり、街に広場をつくるとかコミュニティをつくるとかの議論は、全く本質的ではない(パターナリズムである)のだ。

*1:博士の異常な鼎談」(11月5日放送、TOKYO MX)。別ブログの「100年後」の記事参照(ひろゆき)。

*2:ハワード著「明日の田園都市」の「序言」(F.J.オズボーンによる)によると、「(前略)若いハワードは(中略)当時、土地問題に非常な関心をもっていた他の穏健な改革家のサークルに入った。ヘンリー・ジョージの<単一税>と<土地の国有化>と貧困と都市のむさくるしさの問題には、土地の所有権と土地の価値(ランドバリュー)が関係ありとする多くの他の提案は、このグループの精神的な糧であった」。ヘンリー・ジョージは「進歩と貧困」(1879年)の著者で、「単一税」とは、「法律的な土地私有権はそのまま維持し、ただ不労所得である地代を廃することによって、実質的に地主の力を消殺し、地代は租税の形式で、すべてこれを国庫に徴収し、しかもあらゆる公課をこれで代表させようとするもの」である。ちなみに、経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、「隷属への道―全体主義と自由」(1944年)で、というか、渡部昇一著「自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す」(2008年)からの孫引きなのだけど、「私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それを所有しない者にとってもそれに劣らず、最も重要な自由の保障である」と述べる一方で、「個人の私有財産から所得が発生しないようにさえすれば、所得格差は現在のままであっても、多くの社会主義者たちが抱いている正義の理想は満足されるということは真実である」と述べている。また、ル・コルビュジエは、CIAMを結成した1928年に、土地の再編成の理論を提示している。「この土地の再配分というのは、どの都市計画においても欠くことのできない基本問題であり、共有の利益の労働から生ずる余剰価値を、地主とコミュニティとに公正に分配することが含まれねばならない」と述べている。僕が別ブログの「雑記6」で、「考えをどんどん煮詰めて行くと、『経済格差』問題に行き着いてしまう」と書いたのは、大体こういうことである。個別的には、旧ブログの「Integral Project-2」(「家賃の傾斜」)、別ブログの「」(「外形標準課税」)、「柏の葉から考える」(「土地の独占禁止法違反だよ」)、「雑記3」(「土地所有者」)等の記事参照。

*3:別ブログの「フロリダ」の記事で詳細に書いた。

*4:別ブログの「アルチュセール」の記事参照。要は、僕は「地方都市の中心市街地を再生させる必然はない」と考えているのだけど、その衰退が「問題」であると人々が言うのならば、その「問題」を解いて、解決策を提示してみたくなる、というおかしなスタンスのこと。まっ、根本的に僕は「ファスト風土」人間なのだ。旧ブログの「想像界 写真銃-3」の記事参照(「今日では、問題が提起されれば、宿命的に解答が見出される」、ル・コルビュジエ)。