モダニズム

(前回の「十九世紀の罠-2」(「モダニズム」では、過去の全ての「様式」が否定の対象となる)の続き)

ル・コルビュジエ著「建築をめざして」(1923年)、「建築か革命か」より。

もはや「何々様式」はわれわれには存在意義がなくなり、時代の一つの様式がつくり出されたと推測できる。ここに革命があったのだ。

ル・コルビュジエ著「OEuvre complete 1910-1929」(1929年)より。*1

私は(中略)その時代を規定している諸要素を分析する。私は単にその外面的な現象形態だけではなく、根底にある意味、構造的な思想を明らかにする――そこにこそ、建築の本質的意味があるはずだ。さまざまな様式や軽薄な流行は幻影、仮装にすぎず、それらは私にはなんの関係もない。

コーリン・ロウ著「イタリア十六世紀の建築」、「エピローグ」より。

あらゆる「流派」を粉砕しましょう (…)「ヴィニョーラ派」も粉砕しようではありませんか。
――ル・コルビュジエヨハネスバーグの近代建築家たちへの手紙、1936年9月23日

ワルター・グロピウスヴァザーリを読んでいたが、別の結論を引き出した。グロピウスは建築史にたいし無関心だったように書かれることが多いが、その著作の中でゴシックを高く評価している。そしてゴシック大聖堂を中世「民衆」の集団的特徴と認めているが、(中略)芸術家の自由という概念をグロピウスは明らかに信頼していなかったのだ。

(中略)ル・コルビュジエのような建築家にとって、(中略)ヴィニョーラが特別な批判の対象に選ばれたのは、はかり知れぬ成功をおさめたヴィニョーラの建築論『建築の五つのオーダー』(1562)が、ル・コルビュジエが「新建築の五原則」で成し遂げようとしていたすべてを如実に示していたからである。

高山正實著「ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて」より。

私は、若い時にアーヘンで見た古い建物のことを覚えている。それらは簡素な普通の建物だった。どの時代にも属さず1000年もそこにあるのだ。そしていまだに感動を呼び起こす。変えるものは何もない。あらゆる重要なスタイルが過ぎ去っていった。しかしそれらの建物はまだそこにあった。(中略)それらは中世の建物であった。特別な性格があるわけでなく、ただしっかりと建てられた建物だった。*2
――ミース・ファン・デル・ローエ

1910年に海の向こうの新世界アメリ*3からやってきた。ヴァスムート社のライト*4の作品集出版と同時にベルリンで開催されたライトの作品展である。

(中略)ルネッサンス以来の伝統的なコンセプトでは建築は、生活するための空間ではなく、その空間を包む「箱」を意味した*5。建築家たちはいかにして美しい箱をつくるかで技を競った。(中略)この箱を打ち壊して内部の空間を解放したのがライトである(←動画)。空間は自由に流れるようになった。大切なのは箱ではなく空間なのだとライトはいった*6。発想のコペルニクス的転換である。近代建築の始まりであった。

ディヴィッド・スペース著「ミース・ファン・デル・ローエ」より。

工業化と新素材が一九世紀にもたらした急激な変化は社会の随所に現われたが、この新しい可能性を理解した者は極めて少なく、(中略)僅かな例外を除いて一九世紀の建築家は様式リバイバルの果てしない循環にとりつかれ、結局は建築の精神を枯渇させ意味を奪取してその表現価値を不毛に導いた。*7

本質的に建築行為を美術理論家の管理から開放し、建築の専らあるべき姿に戻すのが我々の仕事である。
――ミース・ファン・デル・ローエ、1923年

身を起こして立ち去ろうとした際、近代的室内に一際目立つイオニア式柱等の素晴らしい彫刻が目についたので何のためかとたずねた。ミースは暫くそれを注視した後、「古い建築家はこういうものを真似するが、我々は味わうんですよ。」と答えた。
――ジョージ・ネルソン、1935年

(まっ、とりあえず、閃いた順にざっと並べてみた。当時の雰囲気が伝われれば、それでいい)

「モリスの建築論」に続く。
H&Mモデル」に続く。

(P.S.)

明けましておめでとうございます。本年も新しい「都市理論」の完成を目指します。ところで、「理想都市」のモデルには、大きく分けて、「理念」型と「問題解決」型の2通りのアプローチがあると言われているのだけど、僕は「問題解決」という目先の便益だけには甘んじず、「理念」に基づく(「理念」から演繹される)実践的な「都市理論」の完成を目指します*8。一年の計は元旦にあり。

m(_ _)m

*1:ノルベルト・フーゼ著「ル・コルビュジエ」からの孫引き(日本語訳)

*2:別ブログの「別世界性」の記事参照

*3:旧ブログの「New World」の記事参照(動画

*4:旧ブログの「Prairie House」、「Integral Project-2」(動画)の記事参照(フランク・ロイド・ライト)。「メモ-2」追記も参照

*5:ヴィラ・コルナーロ」の記事参照(「優雅な舞台装置」)

*6:十九世紀の罠」注釈1の記事参照(「モダニズム建築は、(中略)『空間』そのものを作ることへとシフトしようとする運動」)。あと、旧ブログの「ベビーズム-3」も参照(アインシュタインの空間)。ちなみに、ミースは「アインシュタインボーア、そして特にシュレジンガーの愛読者であった。」(同書)

*7:十九世紀の罠-2」の記事参照(「19世紀の後半は諸様式のリヴァイヴァル(復興)の時代)」)

*8:闘うレヴィ=ストロース」追記の記事参照(「新しい旗は」)。あと、念のため、僕は理念「から」演繹するのであり、理念「を」演繹することは、とっくの昔に諦めている。だから僕は本を読んでいる(僕にとって読書は次善の策である)。ちなみに、読書について、ミースは「私はベルリンに蔵書を3000冊残してきた。後でそのうち300冊を送ってもらったのだが、整理してみると、私がとっておきたいと思った本は30冊しかなかった」と述べている。そして、その30冊は何かの問いに、こう答えている。「それを君たちに教えるわけにはいかない。君たちは自分で自分の30冊を探さなければいけない。そうしなければ勉強する意味がない。」(高山正實著「ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて」)