モリスの建築論

(前回の「H&Mモデル」の続き。というか、前々回の「モダニズム」の続き。というか、時系列的には(建築史的には)、更にその前の「十九世紀の罠-2」(「モダニズム」では、過去の全ての「様式」が否定の対象となる)の続き)

片木篤著「アーツ・アンド・クラフツの建築」(2006年)*1「モリスの建築論」より。

肝要なのは「単純で誠実な」「一般常識」なのであってゴシックという様式ではない。*2

――ウィリアム・モリス、「The Revival of Architecture」、1888年

新しい建物が建てられる時には、一般常識を用い、気取らずに、土地の良い材料を使って建てるならば、それは古い家々と一緒になって、真にその土地から生まれ出たものとなるだろう。*3

――ウィリアム・モリス、同上

(前略)モリスはヴィクトリア朝の醜い環境を糾弾し、「全ての醜さは、現在の社会形態が我々に強要している生得倫理の下劣さの外部への表現である」と言う。元凶は資本主義社会における工場制機械生産である。(中略)中世のクラフトマンシップをもう一度取り戻そう。そうすれば中世のように「全ての職人は芸術家」となり、今まで分けられていた工芸と芸術が再び統合され、「芸術は、人間の労働の喜びの表現である」ことに戻るのではないか。それには、我々はかつての職人がそうであったように、材料、構法、便利さに「誠実(honest)」でなければならない。だが、これだけではまだ十分ではない。「作る者にも使う者にも喜びとなるような、民衆のために、民衆によって作られる」芸術には、「単純で誠実な生活」の前提が必要となるからである。芸術を再生させるためには社会を変革しなければならない。かくしてモリスは社会主義*4へと傾倒していくのである。

「かくしてモリスは社会主義(=「マルクス主義*5)へと傾倒していくのである」のです。

ウィキペディアの「疎外」の項の「マルクスによる概念」より。

近代的・私的所有制度が普及し、資本主義市場経済が形成されるにつれ、人間と自然が分離し、資本・土地・労働力などに転化する。それに対応し本源的共同体も分離し、人間は資本家・地主・賃金労働者などに転化する。同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす労働過程とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が労働力という商品となって資本のもとに従属し、ものを作る主人であることが失われていく。また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって働く喜びを失わせ、疎外感を増大させる。こうしたなかで、賃金労働者は自分自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する。資本はますます労働者にとって外的・敵対的なものとなっていく。(後略)

両者(「モリスの建築論」と「マルクス主義」)はそっくりなのです。以上です(w)。

…いや、さすがに早すぎるな。

上記の「疎外」と関連して、うーん、相田武文+土屋和男著「都市デザインの系譜」(1996年)*6第6章「オースマン」より。

(前略)このような変化の時代(引用者註・一九世紀)に、人々の都市に対する見方の変化を、フランソワーズ・ショエは指摘している。それによれば、かつてのように都市を生まれながらにして与えられた環境としていたときには、そこの習慣や約束事を自然なものとして受け入れることができ、だから理想を形として表現し、それを象徴として意味を読み取ることも可能であった。ところが一九世紀になって、異郷者が押し寄せ、内的にも新たな見知らぬ階層が生まれ、都市に意味を読ませる共通の言語が失われてしまった。人は都市を外的なものとして、精神的には「無縁のもの」と考えるようになった。つまり、都市は客観的に批判しうるような、「批評的(クリティカル)な考察」の対象になったのである。(後略)*7

うーん、(19世紀の)都市と「疎外」の関係について、何か引用しようと思ったのだけど、ややピントがズレているかも知れない(泣)。ついでに、この本の同章で著者は、オースマン*8ヴァルター・ベンヤミンを対比させている。少しだけ引用すると、「この時代に都市の把握のされ方は、オースマンに表されるような体系的でマクロなそれと、遊歩者に表されるような個人的でミクロなそれとの、両極に分化したのであった。」*9

とりあえず、一旦ここまで。

明日の田園都市」に続くー。*10

(追記)

レヴィ=ストロース著「悲しき熱帯I」(1955年)*11第2部「旅の断章」より。

十七歳になろうとする頃、私は、休暇中に知り合った或る若いベルギー人の社会主義者(今はベルギー大使として外国に駐在している)にマルクス主義の手ほどきを受けた。この偉大な思想を通して、私はカント*12からヘーゲルに至る哲学の流れとも初めて接したが、それだけに一層、私はマルクスの本を読むことに夢中になった。一つの新しい世界が、私の前に開けたのであった。その時以来、この熱中は一度も変質したことはなく、私は何か社会学民族学の問題に取り組む時には、ほとんどいつも、あらかじめ、『ルイ・ボナパルトの霧月(ブリュメール)十八日』や『経済学批判』の何ページかを読んで私の思考に活気を与えてから、その問題の解明にとりかかるのである。しかし、私にとっては、マルクスが、歴史のかくかくの発展を正しく予見したかどうかを知ることが問題なのではない。マルクスは、物理学が感覚に与えられたものから出発してその体系を築いていないのと同様、社会科学は事象という次元の上に成り立つのではないことを、ルソー*13に続いて、私には決定的と思われる形で教えてくれたのである。社会科学が目的としているのは、一つのモデルを作り、そのモデルの特性や、そのモデルの実験室*14での様々な反応の仕方を研究し、次いで、これらの観察の結果を、経験できる次元で起こる、予見されたものからひどく隔たっている場合もありうる事柄の解釈に適用することなのである。(後略)

*1:モダン・ライフ」の記事参照

*2:十九世紀の罠-2」の記事参照(「そのなかでゴシック様式は国民的様式であり…」)。ちなみに、レヴィ=ストロースは、「悲しき熱帯I」第2部「旅の断章」で、「(前略)私の受けた哲学の教育は、ゴティック様式(引用者註・ゴシック様式)がロマネスク様式より必然的に優れており、ゴティック様式のうちでは、プリミティブよりフランボワイヤンの方がより完成されていると言って憚(はばか)らないような、美術史の教育に比せられるものであった」と述べている。旧ブログの「Flamboyant」()の記事参照(動画動画)。ロマネスク様式については、そのうち書く。一応、ロマネスク様式→ゴシック様式(プリミティブ→フランボワイヤン)は歴史順です。この一文でレヴィ=ストロースは、西欧の「累積的」歴史観を(暗に)批判している。

*3:旧ブログの「はちみつ石の景色」の記事参照(「まるで土壌から生まれ出たかのよう」)

*4:「資本主義的市場経済が発展していく中で分業が進行し、人々がやることがバラバラになっていく。(中略)こうした分業による専門化によって、ものづくりの効率、つまり生産性が上がり、人々の生活水準が上がっていく。けれでもその反面、分業の副作用というものもある。スミスは分業の結果、人々の仕事が単純になり、(中略)人々はどんどん愚かになっていくのではないかと危惧しています。のちにヘーゲルマルクスは、それはただ単に知性の衰退・愚鈍化というにとどまらず「疎外」(人間性の喪失)、そして社会的な連帯の解体というべき事態なのではないか、と考えるわけです。(中略)一九世紀の(中略)社会主義者たちが市場経済の展開に対して覚えた危惧は、一つには市場経済の中での分業の展開による社会の断片化・連帯の喪失であり、いま一つは、(中略)市場経済が同時に大きな経済的不平等をもたらす、ということでした。(中略)社会主義とは、おおざっぱにいえば、主に社会における富の分配を平等化して、そのことを通じて、弱りつつある社会的な連帯を再生しようという発想です。」(稲葉振一郎著「社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか」(2009年)第9講「デュルケムによる近代の反省」)

*5:十九世紀の罠」の記事参照(「ある意味でポストモダンなその地点から出発するのが真正のモダニズムであるということになった。マルクスその人も、そういう場所から出発したはずです。」、浅田彰)。そして、社会学者の稲葉振一郎は、「社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか」(2009年)第10講「ウェーバーマルクス主義」で、「マルクスマルクス主義は「モダニズムの先駆け」の中でも飛び抜けて重要な意義をもつ存在です。(中略)有名な「上部構造」と「下部構造(土台)」という言葉づかいは(中略)経済(中略)が社会の土台、下部構造であって、政治とか法とか道徳とか宗教とか学問は、その基礎の上に立てられる建物、上部構造のようなものだ、というのがその趣旨です。(中略)つまり、自由な人間精神の活動の所産であると思われている学問、文化、思想は、実は根本的には経済、技術、人間の物質的な生活によってそのあり方が規定されてしまっている、というわけです。モダニズム時代精神が、自分で自分のことを自由で自立していると思っている人間の精神を、気づかないところで根底的に規定している「形式」についての反省にあるとすれば、マルクス主義の考える「下部構造」もまたそういう「形式」の一種と捉えることはできそうです。実際、モダニズムの時代の思想や芸術に、マルクス主義は大きな影響を与えています。」と述べている。

*6:コーリン・ロウ」、「コーリン・ロウ-2」、「コーリン・ロウ-3」の記事参照

*7:旧ブログの「Computer City」の記事参照(「都市への愛を語るべきかどうか」)

*8:旧ブログの「表記-6」の記事参照

*9:「近代社会の特徴は都市の巨大化であり、都市の規模が前近代のそれと決定的に違ってしまった。(中略)都市の全体構成と街区や地区の都市計画が分離した。都市が大きくなれば、その全体の構成は地理とダイアグラム(考え方などをわかりやすく図解したもの)でしか表現できないので、全体像は概念的、抽象的にならざるを得ない。(中略)近代の都市は、その全体と部分の関係が一体で処理できないスケールになってしまった。(中略)全体は全体の論理、部分は部分の論理でとらえる二層制のシステムが近代都市計画の特徴になった。」(日端康雄著「都市計画の世界史」(2008年)序章)。「ギリシャ型とローマ型」、「理想都市」、別ブログの「ノエル」4の記事参照(「都市計画の世界史」)。あと、対比として、別ブログの「アルチュセール」の記事参照(「ル・コルビュジエの凄いところは多少、強引であったとはいえ、建築(論)と都市(計画)論を「総合」したということです」)。ところで、「十九世紀の罠-2」追記2にちょっと書いた、広井良典著「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」(2009年)に、この本(「都市計画の世界史」)が何度も引用されている。ヨーロッパにおける都市の「城壁」が「市民」という概念(や性格)を形成したとか、マックス・ウェーバーの都市論(1964年)がどうとか、まっ、とりあえず、最後まで読んでみる。旧ブログの「誤算-1」の記事参照(「城壁」)

*10:エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)。前の「H&Mモデル」の記事でモリスは「近代デザインの祖」と書いたけど、ハワードは「近代都市計画の祖」と呼ばれている。旧ブログの「Natural World-2」の記事参照。ついでに、前に別ブログの「ノエル」4の記事で、「田園都市建設が事実上、失敗した(中略)理由はとても明快です」と書いたけど、アルフレッド・ウェーバーマックス・ウェーバーの弟)の「工業立地論」は1909年なので、時代背景を考慮する必要はあるとも言える。一応、この「工業立地論」は、栗田治著「都市モデル読本」(2004年)で、詳しく解説されている(「ヴェーバー問題」)。「日食」の記事参照。あと、工場については、「メモ-3」の記事の動画(40秒〜1分40秒)も参照

*11:悲しき熱帯II」、「ボロロ族の集落」、「ボロロ族の集落-2」、「ボロロ族の装飾」、「メモ-2」の記事参照

*12:旧ブログの「美しい景観-4」の記事参照、いや、参照しなくていいw

*13:メモ-2」の記事参照(「われわれはそれを、ルソーのお陰で知ってるのだから。」、レヴィ=ストロース

*14:メモ-2」の記事参照(「実験室における専門家の仕方にならって…」、ル・コルビュジエ