明日の田園都市

(前回の「モリスの建築論」の続き)

年明けてから、何かドタバタしております。

前回の記事を今、読み返してみたら、「注釈」がすごく長くて驚いた。本文より長いかも(ワラ)。こういう時は、記事を2つに分けたほうが読み易いだろう。今後、気を付ける。

では、えーと、「田園都市」(「庭園都市」とも訳す*1)については、これまでにも、旧ブログの「写真銃-2」、「クリスタルパレス」、「都市と工場-2」、「Natural World-1」、「Natural World-2」、「Prairie House」、「Integral Project-3」、別ブログの「」、「ノエル」4、そして、本ブログの「メモ」、「ギリシャ型とローマ型」、「メモ-3」等の記事で言及してきたのだけど、とりあえず、「田園都市」についての簡単な解説(まとめ)を先に引用しておく。

奇想遺産〈2〉世界のとんでも建築物語」(2008年)、「田園都市レッチワース」(松葉一清)より。

英語で「ガーデンシティー」。その訳語が「田園都市」。自然と人工物の共生を好むのは地球上共通だが、とりわけ日本と英国は筆頭にあげられる。その英国ロンドンの書記だったエベネザー・ハワードは、米国での体験も踏まえて田園都市構想を提案する。19世紀末*2のことだ。

職住近接、すべての生活がほぼ徒歩圏でまかなえ、農村地帯に囲まれた安寧の都市の提案。その発想は、低劣な住環境に封じこまれた労働者*3が政治的不安定の要因だった、当時の社会で歓迎された。そしてハワードはロンドンの北約50キロのレッチワースに、田園都市の理想を具体化する。(Google Map

(中略)暮らしに重きをおくハワードの田園都市の思想には、世界中から共鳴者が相次いだ。資本主義と社会主義の激突が案じられる世相にあって、現実調和的な運動への支持である。(中略)日本では、渋沢栄一小林一三*4ら戦前の企業家が注目し、田園調布や阪急沿線の住宅地開発に乗りだした。だが単なるベッドタウンにとどまり、沿線の拡大とともに長時間通勤の元凶にもなってしまった。

プロレタリア作家、宮本百合子の父で重鎮建築家だった中條精一郎は「英国の田園レッチウォルスに労働者住宅問題の先駆たる実況を視察」し、「我国の所謂(いわゆる)田園都市なる計画は労働者救済の目的に非ずして投機者流の餌食」と断じた。大正5年(引用者註・1916年)の一文だ。

レッチワース創設から13年目、日本の限界を見通した悲しい先見の明だった。

まっ、大体こんなのです。建築出身の僕が「田園都市」になぜ関心を抱いているのかと言うと、単純にそれは僕が「ベッドタウン」(ニュータウン)育ちだからです(w)。別ブログの「雑記3」の追記の記事参照*5。ついでに、僕が今、「ニュータウン」の仕事(主に「計画」と「設計」)をしているのも、同じ理由です。元々は、僕は主に「商業施設」の仕事をしていたのだけど、その業界の「保守的」な体質に辟易して、人生の舵を切ったのだけど、じつは「ニュータウン」業界のほうがもっと「保守的」だった(泣)、という何とも言えない人生設計ではあるけど、ケインズこの有名な一節(これの「経済学」を「都市工学」に読み換える)を座右の銘に(?)、ぼちぼち駒を進めてます。

えーと。ところで、エベネザー・ハワードと(前回書いた)ウィリアム・モリスとの間には、10数年くらいの時間差があって、19世紀末以降のヨーロッパは、緩やかに社会主義化が進んだ時代でもあった*6。例えば、社会主義社会改良主義)を掲げた政党が徐々に議席を増やし、イギリスでは1906年に「労働党」が、ドイツでは1912年に「ドイツ社会民主党」が第一党(与党)となっている。まっ、あまり詳しくないけどな。ネットで調べつつ書くと、建築では、「ドイツ社会民主党」の社会主義的な政策によって、数多くの「ジートルンク」(公営団地)*7が建設された。1919年には(同政権によって)「バウハウス*8が設立された。また、社会主義政権下のオーストリアでは、1927年に「カール・マルクス・ホーフ」が建設された(建物の名前がすごい*9)。ただ、その一方で、1891年にローマ法王レオ13世は、回勅「レールム・ノヴァルム」で、19世紀末のヨーロッパが直面している諸問題を、「資本主義の弊害と社会主義の幻想」と表現した(詳しくはここ参照、宇沢弘文)。まっ、要するに、社会主義化が現実化していく一方で、なかなか理想通りにはならない、しかも、19世紀後半のイギリスは、慢性的な「不況」(ある意味、今の日本に似ている状況)で、そこから一向に抜け出せない、そんな状況だったのです(ちなみに、ドイツでは1919年に「国家社会主義ドイツ労働者党」が結成され、1933年に政権を取る*10)。

では、今日の本題、

エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)より。

「明日の田園都市」は、冒頭の二つの短いエピグラフの後、このようにして始まる。

党派感情が強く、また社会的・宗教的の議論が鋭く争われる今日においては、その党派がなにであれ、あるいはその社会学上の色合いはともかくとして、万人が完全にまったく賛成する国民の生活と福祉に重大な意味をもつ、ただ一つの問題を発見することがむずかしいとは誰にも考えられることである。

禁酒運動*11を論じれば、あなたはジョン・モーレイ氏からは、それが奴隷解放運動以来の最大の道徳運動だと聞かされるだろう。しかしブルース卿は「酒の商売は年々国庫に四四万ポンドの歳入を貢献し、それがじっさいに陸海軍を維持し、そのほかに数千の人たちの雇用を提供していること、絶対禁酒主義者といえども酒類販売人に多くのお蔭を被っている(中略)」とあなたに思いおこさせるだろう。

阿片貿易を論ぜよ。一方ではあなたは阿片が中国人民の志気を急速に破壊していると聞くが、他方ではこれはまったくの幻想であって、中国人は阿片のお蔭でヨーロッパ人にはまったく不可能な仕事をすることができるということを聞くのである。イギリス人は食物については、このいやなにおいがちょっとにおっても軽蔑するのであるが。

宗教上と政治上の問題はあまりにもわれわれを敵意ある陣営に分けてしまう。

そして静かな・公平な思想と純粋の感情が、行動の正しい信念と堅固な原則への前進に欠くことができないその王国において、戦闘の騒々しさと戦う軍勢の足掻きが、たしかにすべてのものに生命を吹きこむ心からの真理愛と愛国心よりも、より一層強制的に傍観者に提示されるのである。

田園都市」という言葉から、長閑(のどか)なイメージを持たれるかも知れないけど、(この本の)中身は結構、濃いんです(w)。

それに、はっきり言って、この本を読み切るのは、結構、大変なんです(w)。だが、そこがいい。いわゆる「建築への意志」がある本(他にも、ル・コルビュジエ著「ユルバニスム」(1925年)*12クラレンス・ペリー著「近隣住区論―新しいコミュニティ計画のために」(1929年)*13ケヴィン・リンチ著「都市のイメージ」(1960年)*14等)は得てして、空虚な形式(共時性、不変項*15)を導入するので、通時的に読み切ることに対して、どうしても難儀さを感じてしまうのかも知れない。旧ブログの「Airplane House」の記事参照。

まっ、ともあれ、上記の「明日の田園都市」の冒頭(「著者の序論」)の引用から、ハワードは「ある意味でポストモダンなその地点から出発」*16した、とは言える。もちろん、「ポストモダンな状況」の定義にもよるだろうけど、では、その状況から、ハワードは「新しい秩序を築くことを可能にするような諸原理をどのようにして」*17見出したのだろうか。

「明日の田園都市-2」に続く

メモ-4」に続く。

(追記)

最近、何かドタバタ気味なので、書ける時に書いておく(w)。

上記の答えは、第一に、旧ブログの「Integral Project-3」5の記事で書いたように*18、ハワードは「鉄道的リアリズム」(僕の造語)を獲得した、ということです。小生意気に、レヴィ=ストロースっぽく言えば、「鉄道」が「自然」(物理的な空間)と「文化」(生活一般)の「二つの領域のつなぎ目」(不変項)をなしている、ということです。

第二に、前に「メモ」の記事で書いたように、「田園都市」には「魅力」がある、ということです。そして、この「魅力」とは(当時のイギリスの)人々に広く共有されていて、文化的な連続性のあるもの(または「神話」?)です。

第三に、えーと、すごい大まかに言うと(w)、その「第一」と「第二」の織りなす世界の多様性から、ハワードは発明的に一つの良いモデルを創造した、ということです。でも、じつはここが一番の謎で、ハワードはどのようにしてこのモデルに至ったのかは、ハワード著「明日の田園都市」を何度、読み返してみても、よく分からない。可能性としては、いくつか想像はできるのだけど(そのうち書く)、別ブログの「アルチュセール」や「雑記6」で書いたように、ハワードも「カチャカチャと都市形態と都市形態を組み合わせ」ていたのかも知れません(w)。

以上です。

(追記2)

メモ」の記事で書かなかった「(4)」は、そのうち書く。

(追記3)

ネットワーク構築、粘菌に学べ=効率、首都圏の鉄道網並み−北大など
時事ドットコム、2010年1月22日)
アメーバ状の単細胞生物である粘菌は、餌のある場所に体を広げ、養分などをやりとりする。北海道大などの研究チームが、首都圏の地図を模した容器に粘菌を入れて実験したところ、実在の鉄道網に似た効率の良いネットワークを形成することが分かった。粘菌の行動をヒントに、限られたコストで最適な輸送網を見いだせる可能性があるといい、論文は22日付の米科学誌サイエンスに掲載された。
科学技術振興機構の手老篤史研究員や北大の中垣俊之准教授らは、粘菌のネットワーク成長が(1)利用の多い経路が発達し、少ないと消滅する(2)経路の総距離はなるべく短くする(3)どこかが切られてもいいように迂回(うかい)路を確保する−特徴を持っていることに着目。ネットワークの構築コストと効率を評価する理論モデルを編み出した。(後略)*19

*1:別ブログの「どこでもドア」注釈4の記事参照

*2:十九世紀の罠」、「十九世紀の罠-2」、「モリスの建築論」の記事参照

*3:旧ブログの「表記-5」の記事参照。一応、その記事の絵はギュスターヴ・ドレこの絵(ロンドン、1872年)です。ついでに、同画集のこの絵この絵も参照。後者の絵はよく都市計画の本に載っている。

*4:モダン都市」の記事参照

*5:別ブログの「」、「柏 マイ・ラブ」、「柏から考える」の記事も参照

*6:モリスの建築論」注釈4の記事参照

*7:旧ブログの「ワイゼンホフ-1」、「ワイゼンホフ-2」、「ワイゼンホフ-3」の記事参照(「ワイゼンホフ・ジードルング」)。あと、「木賃アパートと団地」、「闘うレヴィ=ストロース」注釈11も参照

*8:旧ブログの「グローバリゼーション-3」の記事参照

*9:十九世紀の罠」、「H&Mモデル」、「モリスの建築論」の記事参照(カール・マルクス

*10:「われわれはあまりよく知らないことですが、ナチス発生の秘密をハイエクは解き明かしています。(中略)「ファシズム国家社会主義中産階級社会主義である」という表現は真実を語っているとハイエクは言います。丸山真男ヒトラーを支持したのは小売商人などだといいましたが、その点は正しいわけです。(中略)初期のナチス運動に参加した下層党員(中略)の多くは没落していく中産階級で、かつてはよい暮らしをし、よい時代の面影を残す住まいや家具などの環境に住み続けている人も多かった、といっています。中産階級に育ち、家にはそれなりの家具があり、ちょっとした本もある。しかし、収入は何の教養もない産業労働組合に属している社会主義政党が守る組合員の何分の一しかない。この中産階級の憤懣やる方なく、共産党を追い出せと主張したヒトラーを支持したということです。(中略)国家社会主義が勢力を強めたもう一つの要因として、社会主義教育で利潤への軽蔑を植えつけられていた若い世代が、リスクを伴う独立の職業に就くことではなく、安全が約束されているサラリーマンの地位に群がり、(中略)これが国家社会主義の本質だと指摘しています。(中略)旧労働社会主義マルクス主義は一九世紀的民主主義、自由主義的社会で育ち、(中略)どんな妥協をしても社会主義を確立すればすべての問題が解決すると信じていたお人好しなところがあったに対して、(中略)社会主義が進む社会で育ったナチスファシストの若い連中は統制経済を知っているから(中略)「問題を民主的に解決できるという幻想はまったく抱いていなかった」といいます。それは「多様な人々の要求を序列化するという問題に対して、人間の理性なり、平等の公式なりが、その解答を用意できるという幻想を、およそ信じていなかった」ということです。だから怖いのです。」(渡部昇一著「自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す」(2008年)第9章「保障と自由」)。旧ブログの「誤算-1」、「Natural World-4」(動画)、「Natural World-4の補足」、「World of Tomorrow」、別ブログの「雑記3」(動画)の記事参照。(一応、レヴィ=ストロースハンナ・アーレントはそれぞれ、これ(上記のハイエク)とは異なる見解を示している)

*11:禁酒運動は、近代の日本でもあった。ここによると、「近代日本で禁酒運動が隆盛したことを知る人は少ない。(中略)禁酒運動は日本でも宗教対立や政治活動にまで発展し、未成年者飲酒法の制定を成功させた大事件であった。」別ブログの「フロリダ」、「雑記5」の記事参照(「ビールがうまい」)。ビールはうまい。

*12:旧ブログの「Natural World-2」、別ブログの「クルーグマン」の記事参照

*13:旧ブログの「Natural World-2」、「Airplane House」、別ブログの「マンハッタンのゆくえ(前)」の記事参照

*14:悲しき熱帯II」、「アルンタ族の風景」、「ジャージーシティ」、「ロサンゼルス」、「環境のイメージ」、「環境のイメージ-2」、別ブログの「雑記5」の記事参照

*15:「(前略)人類学的研究に、歴史とは異なった共時性のレヴェルで作動する構造という「不変項」を導入しなければならない、という主張でもあった。不変項は、新秩序の形成や秩序の崩壊という歴史的・通時的「変化」とは異なる多様な共時的「変換」の可能性をはらんでいる。」(渡辺公三著「闘うレヴィ=ストロース」(2009年)第三章「野生の思考へ向かって」)

*16:十九世紀の罠」の記事参照(「ある意味でポストモダンなその地点から出発するのが真正のモダニズムであるということになった。」、浅田彰

*17:メモ-2」の記事参照(「新しい秩序を築くことを可能にするような諸原理をどのようにして見出せるのか」、レヴィ=ストロース

*18:旧ブログの「Integral Project-3」5の記事で、「ル・コルビュジエの自動車に対する考え方は(ハワードと)ほぼ同じなので、自動車に関する引用・説明は省きます(えっ?)」と書いているけど、ル・コルビュジエは1925年に「自動車は都市を殺してしまった。自動車は都市を救わねばならない」と述べている(暮沢剛巳著「ル・コルビュジエ 近代建築を広報した男」(2009年)第4章)。これを僕は「自動車的リアリズム」と呼んでいる。常識的に考えるならば、この発想はおかしい(ハワードもル・コルビュジエも)。天と地がひっくり返っている。だから、「コペルニクス的転回」なのである。

*19:爆笑問題のニッポンの教養」(NHK、2009年12月15日放送、動画