メモ-4

(前回の「明日の田園都市」の続き)

ドタバタしております(想定の範囲内ですけど)。えーと。さて、ところで、前回の記事の注釈19に貼った、NHK爆笑問題の「粘菌」の動画を、ついさっき見たのだけど、かなり面白かった。建築家の黒川紀章がこれ見たら、きっと喜んだだろうと思った。*1

それから、同じく前回の記事に、(エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)を)「読み切るのは、結構、大変なんです(w)」と書いたのだけど、これは「翻訳」のせいかも知れないと思った。例えば、その前回の記事で引用した(同書の)最後の一段落は、3回くらい読まないと(少なくとも僕には)その文意がつかめない(泣)。一応、この本は著作権が切れているので、原文(英語です)をネット上で読むことができるし、山形浩生の翻訳まであるのだけど、まっ、特別、分かり易い(!)という程でもないようだ(汗)。これは「英語」と「日本語」の根本的な違いみたいなものだろう。この問題はル・コルビュジエの本(原文はフランス語)の翻訳にもあって、ノルベルト・フーゼは著書「ル・コルビュジエ」(1976年)*2で、ル・コルビュジエのテクストは「一読しただけでは理解できない箇所が多い。とりわけその翻訳はほとんど不可能ですらある」、「(前略)まさにそれが多義的であることによって、論理では得られないような意味や関係が生じて」いる、と述べている*3。実際にル・コルビュジエの邦訳(本)も読みにくい箇所が結構あるというか、翻訳された日本語(の文体)そのものが古文調(?)なのだ(泣)。

ところで、ジェーン・ジェイコブス著「アメリカ大都市の死と生」(1961年)の(山形浩生の)新訳が出るらしい*4。今あるのは、黒川紀章による翻訳*5なのだけど、ネットで調べてみると、どうも「経済学」界には不評であるらしい。確かに建築界におけるジェーン・ジェイコブスと経済学界におけるジェーン・ジェイコブスが、まるで別人のようだと感じたことはある。新訳は出たら、買ってすぐ読む*6。経済学者の小島寛之*7の「魅力的な都市とは〜ジェイコブスの四原則」(WIRED VISION、2008年1月24日)も面白い。「新しい可能性のありか」を探るヒントが、ジェイコブスにあると思える。あと、社会学者の稲葉振一郎*8がネット上で、ジェイコブスに関する連載をしていたらしい。今はもう読めないけど。残念。

さて、前回の「明日の田園都市」の記事(の追記)で「答え」を書いてしまったので、今回は何を書こうかと悩んだけど、話のテーマとしては、(1)エベネザー・ハワードは19世紀末〜20世紀初頭の「ポストモダンな状況」に対しては、どのようなスタンスに立ったのかについて、(2)「田園都市」の経済(経営)とマルクス主義について、(3)前々回の「モリスの建築論」の記事(とその注釈49)に書いた「マクロ」と「ミクロ」の分化(「二層制のシステム」)と「田園都市」(=「近代都市計画」)の問題について、(4)前回の追記2に書いた「メモ」の記事で書かなかった「(4)」について、(5)前回の追記に書いたハワードの「鉄道的リアリズム」(僕の造語)の現代(と未来)における可能性について、等々、というか、こうやって「箇条書き」をしている時が、じつは一番楽しかったりするのだけど(そして後で気が重くなる、ワラ)、まっ、僕的には、もっとも関心があるのは(5)ですけど。

ついでに、すごい大まかな話(のテーマ)で、「田園都市」の源流は、僕は19世紀(後半)の「アメリカ」にあると思っている*9。更に、都市・建築の「モダニズム」の源流についても、諸説はある(ウィリアム・モリス*10ゴシック・リヴァイヴァル説、建材の工業化や工場建築説、等々)のだけど、これも僕は「アメリカ」にあると思っている。例えば、旧ブログの「Natural World-1」の記事に少し書いたのだけど、建築家のアドルフ・ロース*11は「1893年から3年間、アメリカで暮らしている」し、エベネザー・ハワードも若い頃に「アメリカ」で暮らしている(1872年〜76年)からです。まっ、これの説明は、ほとんど状況証拠的にならざるを得ないのだけど、前に「悲しき熱帯II」の記事に書いたレヴィ=ストロースの「感動的な文章」に近いような「感動」も、彼らにあったのではないかと思っている。ちなみに、エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)に、「アメリカ」の話は、(旧ブログの「Prairie House」に書いた「表紙の裏のJ.R.ローウェルの詩*12」以外は)じつは一言も出てこない…、あれ? まっ、いいか(w)。

ともあれ、上記の(1)〜(5)を、時間を見つけつつ、粛々と(?)書く予定。「アメリカ」説は、少し作戦を練ってみる(w)*13。とりあえず、上記の(読みにくい)「最後の一段落」は、著者のエベネザー・ハワードが、「誰に向けて」この本を書いたかをよく表しているというような話(1)から何か書こうと思っている(と一応、メモっておくw)。

以上です。

明日の田園都市-2」に続く。

(追記)

先月末のニュース。

西武有楽町店、年内にも閉鎖 業績低迷で」(←リンク切れ。コチラへ)
共同通信、2010年1月26日)
 セブン&アイ・ホールディングスが、傘下のそごう・西武が展開する西武有楽町店(東京・有楽町)を年内にも閉鎖する方針を固めたことが、26日明らかになった。消費不況が深刻さを増す中、百貨店分野の業績が悪化しており、不採算店舗を閉鎖し、経営の改善につなげる。繁華街の銀座に近い有楽町店はほかの百貨店やカジュアル衣料「ユニクロ」など低価格の衣料品専門店などとの競合が激しかった。*14

驚いた。というか、NHKの夜のニュースで、トップニュースで流れたので驚いた(「国会」のニュースをさしおいて)。年配の世代にとって、有楽町は、特別な場所であるらしい(←動画*15)。

初田亨*16著「図説 東京 都市と建築の一三〇年」(2007年)、第一章「近代への助走」より。

 銀座煉瓦建設の直接の契機となったのは、一八七二年(明治五)二月の大火である。この大火が起きた時、日本最初の鉄道建設に向けて新橋―横浜間では最後の追い込みに入っており、この年の九月には開業式が行われている。
 銀座は新橋駅の正面にあたり、しかも江戸時代から続く東京随一の繁華街である日本橋、および開港場としての築地、さらに鉄道を通して外国とも直接つながる横浜にも通じている。

(かなり中略)そんな銀座煉瓦街も、明治の中頃にはにぎわいを示すようになっている。(中略)銀座煉瓦街が大きく発展していくのは、その後のことである。

同書、第三章「銀ブラを生んだ商店街」より。

 銀座の街をそぞろ歩くことも、大正時代には「銀ブラ」へと受け継がれていく。「銀ブラ」は、明治時代には「銀座のブラ」などといって、銀座をぶらぶらする遊民や地回りの意味で使われていたが、大正時代には散歩を意味する言葉として定着していったのである。

(かなり中略)小説家の佐多稲子は、商館を辞めて自分が勤めていた丸善へ移ってきた英文タイピストとの銀ブラについて、「店の帰りに銀座を散歩している。例によって足早な彼女について私もさっさっと歩いている。店先を覗くというようなことは殆どしない。新橋のたもとまで歩いていった時、彼女は西洋人の男のようにくるりと先ず頭をまわして、『カム・バック!』と、しゃれた風に言ってあとがえりをした」(『私の東京地図』)と語っている。(中略)銀座の街がもつ雰囲気そのものを楽しんでいたことがわかる。

 大正時代も終わり頃になると、街歩きを楽しむサラリーマンが急激に増えてくる。サラリーマンの多くは、明治以降、各地から東京に流入してきた人々である。新しく東京にやってきた人々は、古い事物に郷愁をみるよりも、新しいことに憧れをいだくことのほうが多かった。

(中略)銀座の出入り口にあたる有楽町駅では、定期券以外の乗降客が毎日二万人近くもいたという。(中略)有楽町駅が銀座の出入り口として、待ち合わせに使われるようになっていった。

 一九二五年の調査によれば(今和次郎考現学』)、日中の銀ブラを楽しむ人の数は、男性のほうが女性よりも多く、約二倍に達している。また年代的には、男性の場合二〇代、三〇代が多いのに対して、女性は一〇代と二〇代が多い。(中略)また、銀座を歩く男女で共通していることは、普段着の人が少なく、九割までが着替えて外出していることだ。街歩きを楽しむ場合でも、よそゆきに着替えて銀座に出てくる人が多かったのである。(後略)

時代をややさかのぼりすぎたかもな(w)。この本は面白いので、またそのうち書く。百貨店の衰退については、「闘うレヴィ=ストロース」(「都市空間の(大型)専門店化が進行している」)、別ブログの「モーション・タイポグラフィ」、「イオンレイクタウン」の記事参照。

あと、先週、「週刊ダイヤモンド 臨時増刊 THIS IS JR 2010年 2/22号」(2010年)を買って読んだ。「ルミネ」と「アトレ」は百貨店を上回る一大勢力となり、エキナカコンビニエンスストアの「ニューデイズ」は日販(一日当たりの一店舗の売上高)で「セブンイレブン」を抜いたらしい、驚いた。あと、小島英俊著「鉄道という文化」(2010年)も買った。ぼちぼち読む(電車の中でw)。

(追記2)

一応、上記の(5)の「鉄道的リアリズム」に関しては、前に別ブログの「エソラ」の記事に書いた、「(前略)「ファスト風土」が生じた原因が都市の交通問題にあるならば、交通の流れを整える(変える、利用する)ことによって(後略)」での「利用する」が、(旧ブログの「Integral Project-3」の記事で引用した)エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」の一節の「これらの手段を十二分に利用し、(中略)その計画に即して、われわれの都市を建設すべきときが来たのである」での「利用し」と全く同じ意味である(または「反復」している*17)、ということ。ハワードが「鉄道」を利用したように(更に、ル・コルビュジエが「自動車」を利用したように)、僕は都市の「効率性」の原理(空虚な形式、不変項*18)を利用することを企てている、ということです。そしてこれは「闘うレヴィ=ストロース」の記事の追記や「モダニズム」の記事の追伸で書いたように、「公正」で「正義」に適っていて、そして「多様性」を擁護するといった真正な(神聖な)目的のために利用されるのである、ということです。大まかな流れはこういうことで、別に「鉄道って何かいいよね」と言いたいわけではないよw、念のため。(とは言え、会津鉄道会津線は、超オススメw)

あと、今日(昨日)、竹内洋著「社会学の名著30」(2008年)を買った。これを読んで、今後は全「社会学」の「知ったかぶり」をする所存です。*19

同書、第一章「社会学は面白い…?」(P.19-20)より。

(前略)姫岡勤先生(中略)は、こんなコメントをした。「PTAで活動している人々は理念で行動しているのかね。実際のメカニズムを研究しなければ……」。先生は、理念、つまり公式的見解それ自体の研究を否定していたわけではないが、それだけでは社会学的研究ではないということをやんわり指摘したのである。社会構造の公式的解釈というファサード(建物の正面)の背後にある現実の構造を見通すことが社会学だといったのである。
(中略)たとえば、恋愛結婚(愛しあっての結婚)。愛はいつでもどこでも燃え上がり、抗うことができない感情だとされている。しかし、(中略)実際の結婚を調べてみれば、恋愛結婚は階級や所得、学歴、人種的・宗教的背景などの回路の中でおこなわれている。(中略)大概のところは階級や学歴の似たもの同士なのである。「キューピッドの矢が一瞬のうちに放つ矢は、(中略)非常にはっきりとした回路の中を飛んでいく*20」。*21

ひどい学問です(w)。でも、真の社会学者なら(ウォーホルのように)「So what? (それがどうした?)」と答えるだろう。

*1:機能から構造へ-3」の記事参照(「権力者の宮殿はどこにもない」、「市民のために、市民によってつくられた市民の都市」、黒川紀章

*2:モダニズム」の記事参照

*3:「(前略)まさにそれが多義的であることによって、論理では得られないような意味や関係が生じてくる。個々の言葉の意味領域は互いに接触、重層して高められ、それによってこのテクストには、各部分の意味を理解する前に読者を同意させるようなパトスがある。」(P.20)、「ル・コルビュジエの根本思想がもっとも明瞭に表れている著作は、同時に彼のもっともよく知られた著作でもある。しかし外国人にとっては、その題名からしてすでに難解である。フランス語で『Vers une architecture』と題されたその著作は、二つあるドイツ語版の一方では『Kommende Baukunst(将来の建築)』と訳され、もう一方のドイツ語版では『Ausblick auf eine Architektur(建築への希求)』と訳されているのである。どちらの訳も可能ではあるが、全体としてフランス語原題のニュアンスや微妙な動きを伝えているとはいえない。なぜならこの題は、とりわけ戦いの叫びとして読むことができるのである。すなわち、『Hin zu einer Architektur!(建築をめざして!)』。」(P.21)。日本語版は「建築をめざして」(初版1967年)。一応、著者のノルベルト・フーゼはドイツ人である。

*4:【山形浩生氏インタビュー】10年ぶりに宣言! ジェネラリスト的な教養をふたたび」(ソフトバンク ビジネス+IT、2009年12月28日)より

*5:「日本の<路地>の復活が、未来都市の鍵になる。(中略)当時、たまたま都市学者ジェーン・ジェコブスの『アメリカ大都市の死と生』という本を読んだ。それは路地のコミュニティ文化を重視しないとアメリカの大都市は死んでいく、と警告を発するものだった。まさに私と同じ考えを持つ仲間だと思って、私はすぐに彼女に手紙を出した。結局私はこの本を日本語に翻訳し、出版した。」(黒川紀章著「都市革命―公有から共有へ」(2006年)、P.86)

*6:別ブログの「ノエル」5(「最初の5ページで挫折した」)、「フロリダ」、「雑記6」注釈6の記事参照(ジェーン・ジェイコブス)

*7:闘うレヴィ=ストロース」の記事参照

*8:十九世紀の罠」、「モリスの建築論」の記事参照

*9:「エベネザー・ハワードは、(中略)一八七二年から七六年までのあいだ、大火後の再建期にあるシカゴに彼は住んでいた。そこで彼は、(中略)社会構造が開放的なこの地での生活を通じて、革新的なアイデアを持つ人びとが受け入れられ、成功しうることを知った。(中略)その後ハワードは、産業化の最中でヴィクトリア時代の自由放任的な資本主義が隆盛していたロンドンに戻った。(かなり中略)彼は、実現可能で、実践的で、事実上必要とも言うべき、国土の再編そのものを提唱していたのである。(中略)彼の信念は、イギリス的なものではなく、明らかにアメリカの開拓地で生命を宿したものである。」(ジョナサン・バーネット著「都市デザイン―野望と誤算」(1986年)、P.89-95)。一応、著者のジョナサン・バーネットはアメリカ人である。

*10:モリスの建築論」、旧ブログの「はちみつ石の景色」の記事参照

*11:アドルフ・ロース著「装飾と犯罪」(1908年)はここ参照。少し引用すると、「(前略)そして[19世紀の]人々は、ショーケースの間を行きつ戻りつしながら、己の無能さを恥じるのである。「各時代にはそれぞれの様式があった。なのに我々だけが様式を拒絶しなければならないのか」と。様式とはすなわち装飾を意味する。そこで私は言った。泣くのをやめよ。新しい装飾を生み出すことができないことこそ、我々の時代が偉大である証拠なのだ。」「ボロロ族の装飾」の記事参照。あと、「モダニズム」、「モリスの建築論」の記事参照(「「モダニズム」では、過去の全ての「様式」が否定の対象となる」)

*12:「新しい仕事は新しい義務を教え/時は古いものを/すばらしい未知のものに変える/真理におくれまいとするものはつねに/上をむいて前へ進まねばならぬ/見よ われらの前には/真理のかがり火が輝いている/われらはわれら自身/巡礼者でなくてはならぬ/われらのメイフラワー号を乗りだし/すさまじい冬の海をとおり大胆に舵をとれ/未来の門を血にさびた鍵で/開けようとするな」

*13:19世紀(後半)の「アメリカ」とは、つまり、「シカゴ万国博覧会1893年)」と「高層建築(摩天楼)」と「大草原(プレーリー)」に象徴される景色のこと。

*14:「ファストファッション」に負けた西武有楽町 閉店は銀座カジュアル化の象徴」(J-CAST ニュース、2010年1月27日)、「西武有楽町店閉鎖 後継テナントいるのか」(前同)も参照。「闘うレヴィ=ストロース」、「H&Mモデル」の記事参照(「H&M」)。あと、「西武有楽町店跡地、ヤマダ電機が出店に意欲」(NIKKEI NET、2010年2月9日)も参照

*15:有楽町で逢いましょう」(フランク永井、1957年)。ついでに、別ブログの「抹消された「渋谷」」の記事参照(「渋谷で5時」、1996年、動画

*16:モダン都市」の記事参照

*17:「反復は、反復する対象に何の変化ももたらさないが、その反復を見る精神に何らかの変化をもたらす。ヒュームによるこの有名なテーゼは、われわれを問題の核心に連れていく。」(P.119)、「すべての過去はそれ自体として保存されているのだが、その過去をわれわれのために救い出すには、どうすればよいのだろうか。(中略)プルーストベルクソンを繰り返し、引き継いでいるのは、その点においてであるといえる。」(P.140)、「過去それ自身は、欠如による反復であり、現在におけるメタモルフォーゼによってなされる別の反復を準備するものである。」(P.148、ジル・ドゥルーズ著「差異と反復」(1968年))。というか熊野純彦著「現代哲学の名著」(2009年)第三章「時間・反復・差異」からの孫引き。「メモ」の記事参照

*18:明日の田園都市」追記の記事参照

*19:闘うレヴィ=ストロース」の記事参照

*20:ピーター・バーガー著「社会学への招待」(1963年)

*21:「計画」と「規制」」の記事参照(「基本構造」と「複合構造」)