明日の田園都市-2

(「明日の田園都市」と「メモ-4」の記事の続き)

ドタバタしております(想定の範囲外ですけどw)。えーと。さて、前回の「メモ-4」の追記で「西武有楽町店」の閉鎖について書いたのだけど、あれこれ調べてみた(←ネットでw)。

「百貨店の衰退」の理由は、「闘うレヴィ=ストロース」の記事で書いたような(別ブログの「エソラ」の記事で「ららぽーと豊洲」を例にして書いたような*1)「都市空間の(大型)専門店化が進行」していたり、旧ブログの「Integral Project-2」の記事で書いたような「百貨店の建築形態」(人間工学的な話)上の問題があったり、等々と、いくつか考えられるのだけど、それらよりも、より根本的な理由があるように思われた。

例えば、「聖域なき店舗閉鎖で問われるセブン流の百貨店経営の真価」(週刊ダイヤモンド、2010年2月1日)の記事に「(前略)西武有楽町店は、建物のオーナーが朝日新聞社などで、バブル期の契約を引きずり、賃料が高いままだ。」とあるように、「賃料」(土地所有*2)の問題が大きいように思われた。ちなみに、同じく前回の「メモ-4」の追記で、好調な「JR」グループ(「ルミネ」と「アトレ」等)について少し書いたのだけど、その本に書かれているように、「JR」の強みは、「JR」自らが膨大な土地を所有しているということである(つまり、「賃料」がない。更に、エキナカ等の“一等地”を「貸す」側でもある)。*3

また、前述のその週刊ダイヤモンドの記事に「バブル期の契約を引きずり」とあるのだけど、調べてみると、東京都心の「賃料」(地価)全体は、2008年9月に起きた「リーマン・ショック」以後、大幅に下落している(2008年2009年*4。このような「固定価格」(契約時の相場)と「変動価格」(現在の相場)のズレによって生じる諸問題は、アダム・スミスの「国富論」(1776年)以来、度々、論じられているのだけど、うーん、まっ、喉元思案ならぬ"ネット"元思案は、止めておく(w)。*5

(まっ、旧ブログの「Kinkyo-2」(2007年)の記事で、僕は「(前略)ここは典型的な「2核1モール」でおそらくこれが最終形で、郊外型ショッピングセンターでのこれ以上の進化はないだろう。」(キリッ)と書いておきながら、別ブログの「モーション・タイポグラフィ」(2008年)の記事では「(前略)「2核1モール」にも問題点はある」、そして、「イオンレイクタウン」の記事では「(前略)そこから更に、着々と進化しているのです。」(!)と、こそ〜っと微修正していた前科(?)があったりする(w)。結論を言えば、日本で「2核1モール」が成功したことは「一度もなかった」のである。つまり、日本で(「2核1モール」型の)ショッピングモールが普及した理由は、設計者の意図(計算)とはズレていた。何かがたまたま(偶然に)、ある程度(部分的に)、人々のニーズと重なっただけだった。そして、じつのところ、誰もその「真相」を知っていない。まっ、これは極論でもあるけれど、こういった世界観は、空間の「形式」に対する認識のあり方を柔らかく耕し、今世紀的な「偶然性の感覚」*6とも共鳴する。)

さて、前回の「メモ-4」の記事で、エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)に関する「話のテーマ」として(1)〜(5)を挙げたのだけど、ぼちぼち書き始める。まっ、と言っても、書く中身は既に決まっていて、あとは自動機械のように、さくさく文章化すればいいだけなのだけど、こうした作業のモチベーションをどうやって保てられるのかが、イマイチ分からない(ワラ)。この辺がいかにも「ブログ」的というか、いわゆる「仕事」全般と大きく異なる点である。

とりあえず一応、(いつものように)結論を先に書いておく、というか、ブログに引用する予定の「参考文献」を先に挙げておくと、(1)と(4)はエベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)、(2)は「atプラス 02」(2009年)の柄谷行人の連載「『世界共和国へ』に関するノート」の「社会主義と協同組合」、(3)は相田武文+土屋和男著「都市デザインの系譜」(1996年)*7の第7章「ハワード」の「近代の目覚め」で、(5)は前回の「メモ-4」の記事の追記2に、ほぼ書いた(済)。

(ここまで昨日書いた。)

では、(1)の「エベネザー・ハワードは19世紀末〜20世紀初頭の「ポストモダンな状況」に対しては、どのようなスタンスに立ったのか」について。

エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)の「著者の序論」(P.71)より。(前々回の「明日の田園都市」の記事で引用した部分のすぐ後)

(前略)しかし、それに関しては、見解の相違をほとんど発見できない問題もある。すでに過密になっている諸都市に、人口の流入が引き続き、農村地域がさらにからになってしまうことが、深刻に憂慮すべきだということは、すべての党派の人が、イギリスばかりでなくヨーロッパやアメリカとわれわれの植民地においても、まったく一様に同意していることである。

以上です。そして、この先は延々と「田園都市」の経済(経営)について論じられている。それと、前に別ブログの「クルーグマン」の記事にも書いたのだけど、この本の特徴は「引用」の多さである。哲学者、経済学者、社会学者、評論家、小説家、詩人、科学者、技術者、政治家、等々の文章が引用されている。具体的には、アルフレッド・マーシャルハーバート・スペンサージョン・ラスキンヴィクトル・ユーゴーチャールズ・ディケンズチャールズ・ダーウィンレフ・トルストイジョン・スチュアート・ミルヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、ヘンリー・ジョージ*8ジョージ・スチーブンソン、等々である。

そして、同書終盤の第11章「続く道」では、ハワードは(上記と同様に)このように述べている(P.214-216)。

(前略)おおまかにいえば、産業改革者は二つの陣営に分けられるであろう。

第一の陣営は生産の増大の必要性に、つねに深い関心を向けることに重要性をおく人たちである。第二の陣営は、より正しくより平等な分配を目標とする人たちである。(中略)前者はだいたい個人主義的タイプであり、後者はだいたい社会主義的タイプである。

前者の見解の一例として、わたしは一八九四年一一月一四日、サンダーランドで開かれた<保守協会連合会議>でのべたA.J.バルフォア氏の言葉を引用したい。かれはつぎのようにいう。

「社会が、総生産の分け前に関して、対立する二つの部分から成りたっているかのように説明する人たちは、この大きな社会問題の真の意味をまったくとり違えている。(中略)この国の労働階級に関する真の問題は、第一義的にも根本的にも分配の問題ではなく、生産の問題である。」

第二番目の見解の例としては、つぎのことばをとりあげよう。

「貧乏人を引きあげるだけ、金持を引きさげないでも、できるという考えの馬鹿さ加減にあきれている。」*9

今の日本の状況によく似ている(w)。上記の大文字は原文傍点です。そして、

わたしは、<個人主義者>と<社会主義者>の両者が、早晩かならずたどらなければならぬ道があることを示したが、さらにこの論点を明確にしたい。わたしはつぎのことを十二分に明らかにしてきた。もし<個人主義>の意味する社会が、その構成員が自分の好むところを行い、好むものを生産し、多種多様の自由な結社を結成する十二分の自由の機会があるものであるならば、小規模の社会では、社会はいまよりなお一層個人主義的になるであろう。もし<社会主義>が意味する生活上代が、そのなかでコミュニティの繁栄が守られ、自治体の努力の範囲を広く拡張することによって、集団精神が明らかにされるものであるならば、社会はまたなお一層社会主義的になるであろう。

これらの望ましい目的を達成するために、わたしは、それぞれタイプの異なる改革者の著述の例にならい、それらを実用性という糸で綴じたのである。

(中略)それは、悪感情や争いや苦痛を惹きおこすことなく、合憲性を有し、革命的立法を必要とせず、既得権に直接の攻撃を加えることのない方法で容易にできるのである。このようにして、わたしが言及した二派の改革者の願望が達成されるのである。

以上です。

ポイントは「実用性という糸で綴じた」というところです。大まかに言えば、ハワードはイギリスのいわゆる「プラグマティズム」(時系列的には「保守」思想)の伝統の中にあるのだけど、今日のポストモダン社会においては、これを、ジョン・ロールズ(後期ロールズ)の「重なり合う合意」*10に読み替えても良いのかも知れない。

と言うのも、ハワードはとても「道徳」的で、この本は「良きイギリス人」へ向けて書かれているからです。これを少し言い換えると、ハワードの「田園都市」の都市モデルは、「良きイギリス人」を(そこに暮らす)人間像においている。その一方、前回の「メモ-4」の記事で、経済学者の小島寛之の「魅力的な都市とは〜ジェイコブスの四原則」(WIRED VISION、2008年1月24日)へのリンクを貼ったのだけど、その記事には、経済学者の間宮陽介が「コルビジェが想定する人間は、(中略)生物学的な意味での人間である」と言ったと書かれている。これは、「メモ」の記事で引用したレヴィ=ストロースの「「生物としての」人間の定義である」という意味ではその通りかも知れないけれど、実際のところ、ル・コルビュジエが想定した人間は(合理的な)「近代人」である。

つまり、以前書いた「ギリシャ型とローマ型」の記事では、ハワードの「田園都市」とル・コルビュジエの「300万人のための現代都市」を対比しているのだけど、より根本的なところで、両者はもっと異なっているのである。一方、僕がいま考え中の「理想都市」で想定している人間は、前に「メモ」の記事でも少し書いたのだけど、「ポストモダン人」である。それは、都市経済学者のリチャード・フロリダが、著書「クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭」(2008年)で描いたような人々のことである(別ブログの「フロリダ」の記事参照)。いずれにせよ、ハワードの「田園都市」と「良きイギリス人」、ル・コルビュジエの「300万人のための現代都市」と「近代人」、そして僕がいま考え中の「理想都市」と「ポストモダン人」という構図は僕自身に簡明な方向性を与えている。きっと。

以上です。

(うーん、当初予定していた内容と違うことを書いてしまった(ワラ)。「自動機械」にはなれないらしい。まっ、いいか(w)。一応、予定していた内容は(上記のポイントの)「実用性という糸で綴じた」ということについてデス。今度書く。きっと。)

明日の田園都市-3」に続く。

*1:別ブログの「エソラ」の記事では、「(前略)2006年にオープンした「アーバンドック ららぽーと豊洲」は、「カテゴリーキラー」の集積によるショッピングモールとして(業界で)知られてます。つまり、ここには「核店舗」がないのです。」と書いた。ちなみに、2006年について、評論家の宇野常寛は、「思想地図vol.4 特集・想像力」(2009年)の座談会「物語とアニメーションの未来」で、「(前略)希望が持てるのは『らき☆すた』あるいは『コードギアス 反逆のルルーシュ』(〇六年テレビ放送)の路線ですよ。それは、もう表現自体が崩壊してしまっていることを受け止めて、強力な断片自体を何の統一もなく混在させているという作品です。(中略)複数の断片が混在する世界を描いているという点では共通しているわけです。」と述べている。「メモ-2」注釈8の記事参照(宇野常寛

*2:メモ-3」注釈2の記事参照(「土地所有」)

*3:「JR各社が所有する土地は膨大だ。(中略)全上場企業が保有する土地の簿価ベースのランキングで(中略)そうそうたる企業を抑えて一位にJR東海、二位にJR東日本、一一位にJR西日本が入る。(中略)また、保有する土地の面積では、他の企業をさらに引き離す(中略)。東京電力の面積が大きいように見えるが、(中略)“利用可能土地面積”では、JRが日本一である。(中略)民営化して二〇年余、JRはこれまでにさまざまな手法で、鉄道用地を収益を生み出す不動産につくり変えてきた。(かなり中略)こうした手法で生み出された土地やスペースは、駅直結、駅近といった“お宝不動産”になる。そこでホテル、百貨店、エキナカ、不動産賃貸、マンション分譲と鉄道輸送以外の事業を年々拡大させてきたのである。」(「週刊ダイヤモンド 臨時増刊 THIS IS JR 2010年 2/22号」(2010年)、P.40-42)。ちなみに、2011年に「大阪駅開発プロジェクト」と「新博多駅ビル開発プロジェクト」、2012年に「南新宿ビル(仮称)」、2016年に「新宿駅新南口開発ビル(仮称)」、2017年に「名古屋駅新ビル計画」が竣工(完成)する。

*4:香港を抜いてトップに!東京の賃貸オフィスは世界最高額の賃料!」(ロケットニュース24、2010年2月24日)も参照

*5:話は飛ぶけれど、土肥誠著「30分でわかるマルクスの資本論」(2010年)によると、「(前略)では、資本家はどうやって生まれたのでしょう。マルクスはまず、農村民から土地を奪った者は、大土地所有者になるのであって、資本家とは違うことを指摘します。大土地所有者から土地を借りて大規模な農業経営を始めた農業資本家が登場して、土地所有者―借地農業者―農業労働者という関係が生まれます。借地農業者は自分の資本を賃労働者の使用によって増殖させ、剰余生産物の一部分を貨幣や現物で、大土地所有者に地代として支払います。この農業経営者が資本家として富を形成したのです。借地農業者が資本家となったのは、「農業革命」と「貨幣の減価」だとしています。」(P.186)で、この「貨幣の減価」とは、「16世紀に貴金属の価値=貨幣の価値が低落したことで労賃も低下し、労賃の一部が借地農業利潤に加えられた。さらに当時は借地契約が長期だったため、支払わなければならない地代は旧来の貨幣価値で契約されていたので、労働者と土地所有者の両方から富を得た。」(P.187)。「十九世紀の罠」、「モリスの建築論」の記事参照(マルクス)。また、小島寛之著「使える!経済学の考え方―みんなをより幸せにするための論理」(2009年)によると、「インド生まれのセンは、1943年にベンガル州で発生した大飢饉の時期、この地で子供時代を過ごした。この大飢饉の犠牲者は、推定で300万人という信じられない数に及ぶ。この飢饉の光景が、その後のセンの研究に大きな影響と方向性を与えた、と言われている。(中略)このような信じられない飢饉の原因は、公式の発表では、「コメの不作」とされている。しかしセンは、これは誤りであると主張する。実際、飢饉の起きた1943年およびその前年1942年の米の生産量は、(中略)十分な供給量があったのである。そこでセンが注目したのは、1943年に生じたインフレーション(物価高騰)である。(中略)問題は、このインフレがあらゆるものに比例的に働いたのではなく、おおきなムラがあった、ということだった。農村部の非熟練労働者の賃金と米の交換比率(相対価格)は、1941年を100としたとき、1943年1月には70、3月には44、5月には24、という具合に急落した(米が高くなった)のである。(中略)農村部の賃金の上昇率は、米の価格の上昇率に比べて、あまりにも緩慢だったため、同じ賃金で買える米の量が激減していった、ということなのである。(中略)つまり、この前代未聞の飢饉は、豊富な食料のある中で、市場取引という経済システムが原因で引き起こされた、ということをセンは論証したのであった。このベンガル大飢饉が、センを経済学に向かわせたばかりでなく、既存の市場原理至上主義的な経済学への彼の挑戦的な態度を植え付けた、と考えられる。」(P.97-99)。「闘うレヴィ=ストロース」、「メモ-4」の記事参照(小島寛之)。あと、「H&Mモデル」の記事参照(「イケアは(中略)「不動産市況に収益を左右されたくない」と店舗は原則、郊外に取得した自社の土地の上に開く。」)

*6:メモ-2」注釈10の記事参照

*7:コーリン・ロウ」(第14章)、「コーリン・ロウ-2」、「コーリン・ロウ-3」、「モリスの建築論」(第6章)の記事参照

*8:メモ-3」注釈2の記事参照

*9:フランク・フェアマン著「簡明社会主義原理」(1888年

*10:「(前略)ロールズの八五年の論文「公正としての正義:形而上学的ではなく政治的な」(中略)は後期ロールズを前期と分かつ分岐点としてしばしば言及される。この論文でのロールズの議論の特徴を簡単に言うと、「公正としての正義」の原理について合意するのに、道徳的な信念を共有する必要はないことを強調している、ということになるだろう。(かなり中略)「寛容 toleration」の原理を、哲学それ自体にも適用する、というのである。(中略)人々の間で、基本的な価値観や世界観、真理に対する信念などが違っており、そのため考え方の筋道が違っていても、結果的に望ましい社会的秩序について大体同じようなイメージを抱いていれば、取りあえず、その重なり合っている部分に限って、合意を成立させておけばいい。ロールズ自身はそれを「重なり合う合意 overlapping consensus」と呼んでいる。」(仲正昌樹著「集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険」(2008年)、P.201-203)。「コーリン・ロウ-3」追記、「メモ-2」の記事参照(仲正昌樹