明日の田園都市-3

(前回の「明日の田園都市-2」の続き)

ドタバタしております(汗)。ところで、先々月の「H&Mモデル」の記事で、「(前略)前に別ブログの「アウトレットモール」の記事では、アウトレットモールの「超郊外」立地について書いたのだけど、あ、そういえば、先月、お台場にアウトレットモールがオープンしたらしい。まっ、いいか。ひょっとしたら、商圏的に、お台場は「都心」ではないのかも知れない(←超適当に書いてます、再びw)」と、まさに超適当に書いたのだけど、その答えを見つけた(やっと)。

アウトレット2強火花 三井不VS三菱地 立地戦略に違い」(フジサンケイ ビジネスアイ、2010年3月8日)より。

(前略)富士山をのぞむ静岡県御殿場市三菱地所子会社のチェルシージャパンが運営する「御殿場プレミアム・アウトレット」は、週末ともなれば訪れる人の波でごった返す。(中略)アウトレットモールは(中略)有名ブランドでも時には正規品に比べて5割以上も安く買える。通常の商品を扱う正規店と商圏が重ならないよう、郊外の立地が多い。

(中略)ただ、両社のアウトレット戦略は大きく異なる。

(中略)施設の新設に、より積極的なのが三井不動産だ。(中略)大都市圏郊外でありながら、一部施設を除き鉄道最寄り駅から徒歩でいける場所に出店しているのも特徴だ。(中略)一方、三菱地所は原則、大都市圏から車で90分程度の場所に設置する。正規店から離れることで顧客の奪い合いを避け、商品を充実させる。アクセスを良くするため高速道路のインターチェンジ付近に立地し、敷地面積も比較的広く取る。

この辺は「H&Mモデル」の記事の注釈5と、別ブログの「アウトレットモール*1の記事参照。そして、

(中略)通常の商品を扱う正規店と顧客の奪い合いを避けるためアウトレットモールは、郊外に出店する−。こんな業界の常識を打ち破り、アウトレットに参入したのが森ビルだ。同社は昨年12月、東京・お台場の商業施設「ヴィーナスフォート」を改装し、1、2階部分に正規店、3階部分にアウトレットを設置した。東京23区内では初めてのアウトレット施設だ。

 高級ブランドを展開するアパレル会社などは、正規店の顧客が奪われる懸念から、商圏の重なる都心部へのアウトレット出店には消極的だった。ところが、アウトレットの人気が広がったことで状況は変わりつつある。都心部のアウトレットでブランドが広く認知されれば、そのまま正規店の集客にもつながる相乗効果が期待されるからだ。

「状況は変わりつつある」、「相乗効果が期待される」のです(!)。これが答えです。そして、

(中略)これまで大手不動産会社の独壇場だったアウトレット。だが、大手小売りのイオン*2が参入を検討しているとされるなど、運営会社の業態に広がりも予想される。(後略)

以上。

ところで、上記(一番上の四角の中)に「(前略)三菱地所は原則、大都市圏から車で90分程度の場所に設置する」と書かれているけど、エベネザー・ハワードが建設した「田園都市レッチワース」(1903年−)*3も大都市圏(ロンドン)から車で90分程度の場所にある*4。これは、たまたま一致しているということではなくて、大まかに言うと、両者は大都市の「磁場」*5の「外側」に位置しているということで共通しているんです。「田園都市」と「アウトレットモール」は、割とよく似ているんです。

エベネザー・ハワードの「田園都市」では「職住近接」の生活が目指された。一方、大都市の「磁場」の内側では、前に旧ブログの「Computer City」の記事で、「近代化以降の都市の「職住分離」は必然的だった(分離したほうが「効率」がいい)」と書いたような、都市の「効率性の原理」(または「モダニゼーションの急進主義」*6等)によって、半ば必然的に「職」と「住」は分離してしまう。だから、ハワードは「田園都市」を大都市の「磁場」の「外側」に建設したのです。

(一応、このこと(「田園都市」の立地について)は、エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)には書かれてない。でも、僕にはハワードの考えが全て分かるのだ(!)、ではなくてw、例えば、ロンドン近郊の「ハムステッド田園郊外」(1907年−)*7の建設に対しては、ハワードは「ロンドンに近すぎる」として反対した。その一方、ル・コルビュジエは、都市の「効率性の原理」に則って、大都市の「磁場」の「中心」を大改造することを1925年に提案した*8。ハワードとル・コルビュジエの二人の案(都市モデル)は全く対照的ではあるけど、重要なのは、両者とも都市の「効率性の原理」に則っているということである。または、これをレヴィ=ストロース風に言い換えると、都市の「効率性の原理」は、「不変の特性を保持している」のである。「メモ-4」追記2の記事参照。)

ハワードの「田園都市」の構想は、都市の「スプロール現象」を招いたとか、実際に建設されたのは(「職住近接」型の「田園都市」ではなく)「田園郊外」(住居専用地域)や「ニュータウン」だったとよく批判されているのだけど、その理由はすでに説明した通りで、「田園都市」と「田園郊外」の決定的な違いは、大都市の「磁場」の「外側」に立地しているか「内側」に立地しているかの違いである。「田園都市」が失敗したと言われてしまう理由はとても明快なのである、以上です。*9

(一旦、ここで「下書き保存」←休憩。)

えーと、前々回の「メモ-4」の記事で、エベネザー・ハワード著「明日の田園都市」(1902年)に関する「話のテーマ」として(1)〜(5)を挙げて、(1)を前回の「明日の田園都市-2」の記事に書いた(済)。では、(2)の「田園都市」の経済(経営)とマルクス主義*10について。

atプラス 02」(2009年)「『世界共和国へ』に関するノート」、「社会主義と協同組合」(柄谷行人、P.123-127)より。

(前略)マルクスプルードンと対立したあたりから、特に、イギリスに亡命した時点から、資本主義経済の本格的な研究、あるいはイギリスの経済学の本格的な研究に取り組みはじめた。それはまた、イギリスの社会主義運動を知ることでもあった。

(中略)マルクスが重視したのは、一八五〇年にイギリスで広がった協同組合工場である。(中略)協同組合では、労働者自身が労働を「連合」(associate)させるかたちになっている。(中略)マルクスはいう。《この協同組合工場の内部では、資本と労働との対立は止揚されている》(中略)。ここでは、ルソー*11がいうような人民主権が名目的であるのとは違って、これは現実的である。(中略)真の民主主義は政治的なレベルだけでなく経済的レベルで達成されなければならないというプルードンの考えは、協同組合工場において実現されている。

 問題はこの先にある。マルクスは協同組合を称賛し、そこに資本主義経済を揚棄する鍵を見出した。だが、協同組合工場が大きくなって、資本制企業にとってかわることはありなえい、と考えたのである。

(中略)マルクスプルードン派が主流であった「国際労働者協会」(第一インターナショナル)の「創立宣言」において、つぎのように書いた。《これらの偉大な社会的実験の価値は、いくら大きく評価しても評価しすぎることはない》(中略)。現実の協同組合が拡大して資本主義にとってかわることはありえないが、(中略)協同組合化以外に社会主義はありえないのである。そして、資本制企業を協同組合化するための条件は、株式会社によってもたらされた、とマルクスは考えた。(中略)ここで大事なのは、協同組合工場よりもむしろ資本主義的株式企業に、連合的(associated)生産様式への発展への過渡的形態を見出したことだ。(後略)

以上。

ポイントは「株式会社によってもたらされた」のところです。エベネザー・ハワードは「田園都市レッチワース」の建設へ向けて、1903年に「第一田園都市株式会社」を設立した。

「明日の田園都市-4」に続く。

(もちろん、ハワードは上記の「イギリスの社会主義運動」の系譜にあり、マルクスと直接は関係ない。また、上記のマルクスが言った「これらの偉大な社会的実験」とは、イギリスの社会改革家ロバート・オーウェンの理想工業村「ニュー・ラナーク」(Google Map)等のことである。一方、ハワード著「明日の田園都市」(1902年)に、ロバート・オーウェンの名前は、(ほとんど)出てこない。ハワードは、ロバート・オーウェンのような博愛主義(温情主義)的な経営者が「管理」する「理想都市」ではなく、住民(「良きイギリス人」*12)達の「自治」による「理想都市」を目指した。だから、「株式会社」なのである。)

(追記)

ところで、先週、遅ればせながらクリス・アンダーソン著「フリー〜〈無料〉からお金を生みだす新戦略」(2009年)を買った(w)。この本は「世界25ヶ国で刊行され、日本でも16万部を超える大ベストセラー」で、2/3くらいまで読んだのだけど、とりあえず、この本は重いデス(泣)*13。それから、一昨日、書店へ行ったら、今週号の「週刊ダイヤモンド 2010年3/13号」の特集が「FREEの正体」だった、泣いた(泣)。即、買ったけど、これは後で読む。*14

えーと、クリス・アンダーソンの本によると、「二一世紀の無料(フリー)は二〇世紀のそれとは違う。アトム(原子)からビット(情報)に移行する」(P.11)、「この新しい形のフリーは、モノの経済である原子(アトム)経済ではなく、情報通信の経済であるビット経済にもとづいている」(P.22)、「二〇世紀は基本的にアトム経済だったが、二一世紀はビット経済になるだろう」(P.22)とのことで、えーと、前に「「計画」と「規制」」の記事で、「「情報のネットワークが都市を変える」ことに関心ある。どう変わるのか。」と書いたのだけど、その姿が見えつつあるようである。*15

でも、読み進めていると、「ケヴィン・ケリー」という人の名前が出てきた。ケヴィン・ケリーは「Wired」誌の創始者で、著者のクリス・アンダーソンは「Wired」誌の編集長という間柄である。この「ケヴィン・ケリー」ってどこかで聞いたことあるなぁと、(電車の中で)ブツブツ考えていたのだけど、やっと分かりました(!)、というか、僕はブログに書いていた(汗)。別ブログの「フロリダ」の記事参照。都市経済学者のリチャード・フロリダは、著書「クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭」(2008年)で、ケヴィン・ケリーを批判している。

もちろん、これはリチャード・フロリダが正しい(現実にそうなっている)のだけど、「情報のネットワーク」の進化によって、「アトム経済」が「ビット経済」へ変わる、「貨幣経済」が「非貨幣経済」(「フリー」)を利用した経済へ変わる、すなわち、「経済の原則」*16そのものが根本的に変わることによって、都市空間も変わることは大いに考えられることである。実際、今から約100年前の「東京」で、都市空間の「フリー」化は起きたのだ。

初田亨著「図説 東京 都市と建築の一三〇年」(2007年)第三章「銀ブラを生んだ商店街」、「ショーウインドウをもった店舗」(P.48-49)より。

 現在の商店では、値札の付けられた商品を自らが自由に見て歩き、希望の品物を選び出すのが一般的であるが、江戸から明治時代にかけては、座売り方式をとるお店が普通だった。

 座売り方式の店舗では、紺のれんをかけた薄暗い店舗の中で、商人が畳の上に座って客を待ち、訪れた客の求めに応じて、商品を店の奥や蔵からひとつずつ出して見せるという販売方法がとられていた。(中略)この頃の商人たちは、「良賈(よい商人)は深く蔵して虚しきがごとし」といわれたように、よい品物は奥に隠して、店頭には飾らないことを信条としていたのである。このような座売り方式の店舗では、客が購入の目的をもたないで店舗を訪れることは不可能であった。それに対して陳列販売方式の店舗では、客自身が気に入った商品があるかないか探し出すことを前提にしており、気に入ったものがなければ、店から出ればよい。またなかには、買う目的がなくお店に入ったものの、商品の魅力に惹かれて衝動買いをする客もいた。

 商店のあり方について説いた当時の本には、「商人は決して素見(すけん)客を嫌ふべからず」(『土屋長吉店前装飾術』)とか、「小売商店の繁昌不繁昌は、どれだけ交通機関の為めに左右されますか知れませぬ」(石井研堂『進歩的経営法 小売商店繁昌策』)など、それまでとは違った商売の方法が記されている。ひやかし客を大切にせよとか、交通機関によって商店の繁昌が左右されるなどの指摘は、明治以前にはみられなかったことである。

この辺は「モダン都市」(「呉服店から百貨店へ」)の記事参照。そして、

 このことは、商店が不特定の人を客として相手にしはじめたことを示している。人々の生活圏が拡大し、江戸時代から続いてきた地域完結社会が崩れはじめたのである。(中略)それまで特定の顧客だけを対象としていればよかった商店にとって、いかに多くの人々の注意を自分の店に引きつけるかが大きな課題になってきたのである。人々は、商品の購入を直接的な目的にしなくても、気軽に訪れることのできる商店の出現を望んでいたし、それに応えるかのように陳列販売方式の店舗がつくられていった。

 街のなかを動きはじめた人々の行為は、やがて「銀ブラ*17などと呼ばれ、より明確なものになっていくが、まさにこのような人々と商店の間で行われる行為を、円滑に進める仲立ちとしてショーウインドウが登場したのである。

以上。

ここから「アトム」空間(都市空間)と「ビット」空間(情報空間)の共通項を見つけることができるのかも知れないし、または、都市空間の「フリー」化の別の文脈で、「公共空間」について考えてみても良いのかも知れない。まっ、いずれにせよ、とりあえず、この本を最後まで読んでみる(「週刊ダイヤモンド」もな)。また、このような変化(「フリー」化)は、上記(アウトレットモールの記事)の「状況は変わりつつある」、「相乗効果が期待される」とどこかでつながってる気もする。*18

*1:別ブログの「雑記5」の記事も参照。別ブログの"初代"のタイトルの絵はこれ(「御殿場プレミアム・アウトレット」)だった。ちなみに、二代目はこれ(「りんくうプレミアム・アウトレット」)で、現在のは三代目。

*2:別ブログの「イオンレイクタウン」、「イオンレイクタウン-2」、「イオンレイクタウン-3」、「ノエル」3の記事参照

*3:明日の田園都市」の記事参照(「田園都市レッチワース」、松葉一清)

*4:旧ブログの「Prairie House」の記事参照(「ロンドンから鉄道で64キロ」)

*5:別ブログの「イオンレイクタウン-3」、「アルチュセール」の記事参照(「磁場」)

*6:旧ブログの「Strange Paradise」の記事参照(「無個性の快楽」、レム・コールハース

*7:旧ブログの「Natural World-3」の記事参照

*8:旧ブログの「表記-4」(「ここが「ヴォアザン計画」の場所です。パリのど真ん中です。」)、「表記-6」、「Integral Project-3」(「中心は条件づけられている。」、ル・コルビュジエ)の記事参照

*9:モリスの建築論」注釈10、別ブログの「ノエル」4の記事参照。ハワードの「田園都市」が失敗した理由は「工場の立地」にある。

*10:十九世紀の罠」、「モリスの建築論」、「明日の田園都市-2」注釈5の記事参照

*11:メモ-2」、「レッセフェールの教訓」追記、「モリスの建築論」追記の記事参照

*12:明日の田園都市-2」の記事参照

*13:別ブログの「フロリダ」の記事参照(「(本が重くて)筋肉痛になった」)

*14:週刊ダイヤモンド」は良い特集が多い。「2009年11/28号」の「百貨店、コンビニを抜いた 通販&ネット販売の魔力」(「闘うレヴィ=ストロース」の記事参照)とか「2010年2/22号(臨時増刊)」の「JR」特集(「メモ-4」、「明日の田園都市-2」注釈3の記事参照)とか。

*15:別ブログの「フロリダ」注釈8の記事参照(「情報通信が初めて便益の向上とエネルギー消費が比例しない技術」、月尾嘉男

*16:ノエル」4の記事参照(「経済の原則」)

*17:メモ-4」の記事参照(同書、第三章「銀ブラを生んだ商店街」)

*18:デフレ時代の外食産業は本当に値段の安さが重要なのか」(ダイヤモンド・オンライン、2010年3月10日)も参照(「実は新規顧客を開拓できているかどうかがカギ」)