レッセフェールの教訓

新建築2009年11月号、「レッセフェール」(桐敷真次郎)より、メモ。

(前略)「市民の王」と呼ばれたルイ・フィリップ(1773-1850、在位1830-48)はアダム・スミスの「見えざる神の手」とジェレミーベンサムの「最大多数の最大幸福」を信じて、ブルジョワジーの勝手放題を許した。やがて彼らのあまりの横暴とそれに反発する庶民の不満に気づき、反動に転じた時はすでに遅く、労働者・農民・知識人・学生による二月革命(1848)が起こってイギリスに逃亡、2年後に死んだ。革命はたちまちヨーロッパ全土に波及し、フランスの王制に終止符を打った。
(中略)以後、民主主義を奉ずる国民国家は、自由放任主義の容認と規制のバランスを常に適切にとることを至上課題とするようになった。*1

桐敷真次郎という方は、高名な建築史家で、1926年生まれです。

(中略)独立心を失うことなく自営している商店主や工場主や農民はいわば国の宝である。それなのに、グローバル化の一環と称してやたらに超大型店舗を認可するのは、中央政府の政策としても地方自治体の都市計画としてもおかしい。巨大量販店が商店街をシャッター通りにし、米屋、酒屋、タバコ屋を次々と潰していることは誰も眼にも明らかだからだ。企業が勝手に工場を海外に移せば、国内の失業者が増えるのは当然であろう。どことなく人身売買に似た人材派遣の放任もおかしい。やたらチェーン店を増やして同業者を駆逐し、それを成功だと思っている事業家も狂っている。国民生活を急速に不安定にしたのも、バブルの元凶だった銀行が未だに平然と強いているゼロ金利ではないのか。
(中略)やはり、ルイ・フィリップが身をもって示してくれた「レッセフェール」の教訓を再確認することが必要になっている。

グローバル化*2の否定は、あまり現実的ではないけれど、貧困がグローバリゼーションのプロセスと密接に結びついている、とも言われている。いずれにせよ、これからの「国土」全体のあり方を考えて行く必要はある。

以上。「十九世紀の罠」に続く。

(追記)

ル・コルビュジエの「祖先はフランスから亡命したカルヴァン派教徒であり、祖父は二月革命の指導者の一人だった」。*3

ル・コルビュジエの出身地のラ・ショー・ド・フォンは、「ジャン・ジャック・ルソー*4アナーキストバクーニンクロポスキンといった社会改良をめざす亡命者たちを惹きつけ、さらにレーニンさえもラ・ショーにやってきて、この都市の独特な性格を賛美している(中略)。ラ・ショーは十九世紀においてヨーロッパのアナーキズムの中心地であった」*5

意外なつながり。うーん。。

*1:別ブログの「ノエル」4の記事参照

*2:ユルバニスム」、「新建築2009年12月号」、「「計画」と「規制」」の記事参照。あと、旧ブログの「グローバリゼーション(写真集)」、「写真銃-3」(飛行機の教訓)、「Natural World-2]」(「このプロペラ以上のものを誰がなしえるというんだ」、1908年)、「Natural World-4」(飛行機の歴史)、「Airplane House」(飛行機の家)、「Integral Project-3」(最新の計画都市、「飛行機的リアリズム」、動画または動画)、別ブログの「タタ・モーターズ」、「イケア」、「フロリダ」(「世界はフラットではない」)も参照。おまけで、ル・コルビュジエは飛行機をテーマとした写真集「AIRCRAFT」(1935年)で、「飛行機は新時代の象徴となる。機械の進歩という巨大なピラミッドの上に、新時代を切り開き、全速力でそこに直進していく。100年ほど前に手探りで始まった、情熱に満ちた準備の時代に施された機械改良によって、数千年にわたる文明の礎は破壊された。今日、われわれの目の前にあるのは、機械文明という新時代の支配である。空を往く飛行機は、平凡なものの上空を、われわれの心を乗せて飛ぶ。飛行機のおかげでわれわれは鳥の視点を持つことができた。目がはっきりと物事をとらえるとき、人は澄み切った心で決断する」と述べている。あっ、「グローバル化」に関する注釈が、ほぼ「飛行機」に関する話になっている、気のせい気のせい(w)。まっ、ル・コルビュジエと「グローバル化」に関しては、ル・コルビュジエ著「ユルバニスム」(1925年)第1部の「われわれの手段」での“ダムの教え”の挿話のほうが良い。引用すると、「(前略)近寄って調べてみよう。それは、あらゆる発明家の国際的な寄り合いである。鋼索の巻枠には『フランス』、機関車には『ライプチッヒ』、足場とシュートに『アメリカ合衆国』、電気機械に『スイス』と書いてある。(中略)考えてみれば、奇蹟が分かろう――今日、世界は協力しているのだ。それが巧みな発明であれば、すべてのものに取って替わり、侵入し、勝つ。(中略)われわれは、人間が獲得したものの総計である道具を手にしている。(中略)以上が、ダムの教えである」(P.140)。

*3:倉方俊輔著「吉阪隆正とル・コルビュジエ

*4:メモ-2」の記事参照

*5:チャールズ・ジェンクス著「ル・コルビュジエ

「計画」と「規制」

(前回の「生ぬるい都市」の続き)

中央公論2009年8月号、「東京が、「生ぬるい」街になった理由」(磯崎新)より。

 十九世紀の国民国家では社会・経済・家族・都市すべてが「計画」できると考えられました。社会主義的でない国においても都市は「計画」できると考えられ、法制化されました。
 二十世紀の資本主義国家では「規制」です。間接的な制御が原則とされ、これも法制化されている。
 さしあたりパリを前者、マンハッタンを後者の典型としておくと、東京の六〇年代の「発熱」はパリ・モデルの受容とその過激な変成過程であり、八〇年代の「過熱」はマンハッタン・モデルを志向しながら(中略)、土地所有の細分化などの遺制(レガシー・システム)のため「地上げ」に手間どったりして自家撞着した過程だった*1。ちなみに、日本では都市制御システムとしては「計画」と「規制」が二重に使われている*2国民国家的であると同時に資本主義国家であるという近代化のシステム・モデルが輸入され受容された過程のあいまいさがそのまま記録(メモリー)として残って、遺制と重層してもっと複雑に見える。だがはっきりしているのは、主たるシステムは、輸入モデルだったということです。

コンビニ*3もショッピングモール*4も「輸入モデル」である。旧ブログの「Guide to Shopping」の記事参照。

  • 「東京にも可能性があった」

・十九世紀型都市=<都市>(シティ)をパリ・モデルとしました。
・二十世紀型都市=<大都市>(メトロポリス)はマンハッタン・モデルです。
・二十一世紀型都市=<超都市>(ハイパー・ヴィレッジ)は上海・モデルになるだろうと私は考えています。*5

 二十世紀の終わりごろから、個人がそれぞれパソコンを持ち、さらには携帯を持つようになった。全世界的に情報インフラが整備されました。二十世紀は大量交通が都市を変えたのに対して、おそらく二十一世紀は情報のネットワークが都市を変える。*6

(中略)これからも人間は歩いているし、車も走っている。ディテールはそのまま残ります。しかし、その意味を考えると、まったく違った街になっている。

(中略)上海はあまりに急激な変貌を遂げたので、支離滅裂に見えます。三〇〇〇万人の人口を容れて、三〇〇〇軒のミューゼアムを造ると言ったりしています。「計画」し、「規制」すると言っています。(中略)混沌でも無秩序でも事故の連続でもいいけど、すべてが瞬時におこっていて、しかも「発熱」している。これが「交換」です。*7

(中略)私はこれが、二十一世紀の<超都市>の基本条件だと考えています。(中略)東京が乗りそこねたことだけはお分かりいただけますか。

以上っす。

「情報のネットワークが都市を変える」ことに関心ある。どう変わるのか。*8

あと、上記の「計画」と「規制」の話は、レヴィ=ストロース著「親族の基本構造」(1949年)の「基本構造」と「複合構造」の話に似ている。

渡辺公三著「闘うレヴィ=ストロース」(2009年)、第二章「批判的人類学の誕生」より。

  • 交換の規則と自由

 インセストの禁止は人間社会に普遍的に見られる、と同時にそれは文化的な規則として、社会ごとに違った形をとる。インセストの禁止が普遍性と個別性を同時にそなえていることに人類学者は惑わされ、その発生の理由を(中略)生物学的普遍性(中略)に、すなわち「自然」に求めるか、デュルケームのように歴史的出来事の個別性(中略)に、すなわち「文化」に求めるかという二者択一に陥った。しかし、レヴィ=ストロースによればそれは択一の問題ではなく自然から文化への移行の問題なのだ。そしてそれは「交換せよ」という文化的規則の生成の問題なのだ。

(前略)この大著の主題は、序文の冒頭にきわめて簡潔にしめされている。「基本構造」とは親族のカテゴリーが結婚相手を指定する婚姻体系であり、「複合構造」とは経済機構や心理機構が結婚相手を選択するメカニズムを与える体系である。前者は人類学の研究対象となるいっぽう、後者は配偶者が「自由に」選ばれる「文明世界」での結婚制度であるともみなされよう。

(中略)こうして定義される「基本構造」と「複合構造」の複数のモデルを確定し、構造的特性を明らかにすることが論文の主要な目的であった。

(前略)「複合構造」とは一定の親族カテゴリーを禁止するだけで禁止範囲外では「経済機構や心理機構が結婚相手を選択する」自由を与える構造である。こうした親族関係のあり方を「構造」として分析するためにレヴィ=ストロースはふたつの視点を導入する。ひとつはある親族カテゴリーのポジティヴな指定(中略)と、ネガティヴな排除(中略)のあいだに論理的な移行段階を案出すること、もうひとつは、これらふたつの規則のあいだに行為モデルとしての尺度の違いを設定すること、すなわち前者を行為者たちの経験的なレヴェルに近い構造の「機械モデル」と呼び、後者を行為者の経験的なレヴェルを超えた構造の「統計的モデル」としてとらえることである。

(中略)極度に単純化すれば、「基本構造」とは結婚できる相手のカテゴリーにスポットライトがあたっている状態、「複合構造」とは結婚できないカテゴリーだけが暗がりに残され社会の他の部分には光があてられ当事者がそれぞれの基準で選択できる状態にたとえることができる。

そして、「基本構造におけるカテゴリーのポジティヴな指定と複合構造におけるカテゴリーのネガティヴな排除のあいだにどのような論理的関係を見出し、双方を『構造』のもとに包摂できるか」という視点(主題)を提示している。以上です。

(「基本構造におけるカテゴリーのポジティヴな指定」と「複合構造におけるカテゴリーのネガティヴな排除」は、都市制御システムとしての「計画」と「規制」にそれぞれ置き換えられる、の意)

*1:メモ-3」の記事参照

*2:闘うレヴィ=ストロース」注釈11の記事参照

*3:別ブログの「雑記」、「雑記5」、「雑記6」の記事参照(「コンビニ」)

*4:旧ブログの「Kinkyo-2」、「Guide to Shopping」、「Integral Project-2」、別ブログの「イオンレイクタウン」、「イオンレイクタウン-2」、「イオンレイクタウン-3」、「エソラ」(動画)、「ノエル」3の記事参照(「ショッピングモール」)

*5:ユルバニスム」、別ブログの「フロリダ」注釈7の記事参照

*6:社会的な身体」、「社会的な身体-2」、別ブログの「どこでもドア」、「別世界性」、「フロリダ」、「雑記5」注釈7、「雑記6」の記事参照(「情報空間」)

*7:旧ブログの「Integral Project-3」(「上海臨港新城」)、別ブログの「クルーグマン」注釈8の記事参照

*8:闘うレヴィ=ストロース」の記事参照(週刊ダイヤモンド11月28日号)。まっ、現在の「百貨店」や「商店街」に、それほど古い歴史があるというわけでもない。「モダン都市」、旧ブログの「Kinkyo-2」の記事参照

生ぬるい都市

中央公論2009年8月号、「東京が、「生ぬるい」街になった理由」(磯崎新)より、メモ。*1

(前略)半世紀ほど昔、私は「未来都市は廃墟だ」と言いました。いまは、そのときからすれば未来だから、廃墟に住んでいると言ってもいい。眼前に瓦礫があるわけじゃないので、文字通りの廃墟に住んでいるとは言えないけど、あのときあてずっぽうに言った廃墟になっているようにも思います。半世紀前、誰もがいずれ理想的なユートピア都市になるだろうと期待をかけていました。私は、「そんなユートピアなんてないよ」、と言ったにすぎません。理想都市はやってこなかった。それだけははっきりしています。

  • 「六〇年代には熱気があった」

(中略)六〇年代*2の東京には説明できないような「熱気」がありました。「常時普請中」という言葉がぴったりでした。

 八〇年代、海外で東京論がたくさん出てきました。極東に奇妙な都市が生まれつつある。ごったがえしていてまるで「坩堝(るつぼ)」のようだと表現され、すべてが「過熱」気味になっていました。
 二〇年間隔で「発熱」しているのなら〇〇年代にも何かあってよかったのに、妙に「生ぬるく」なっている。そんな感じしませんか。東京論をやりそうな連中はこの街を素通りして、アジアのほかの都市に向かっています。かくなるうえは新型インフルエンザに罹(か)からせて「高熱」でも出させてみるか。(中略)いっそのこと東京を脳死させ、国会での議論対象を都市に見立て、臓器移植を大々的にやる。破産処理手法を応用してもいい。すると、すでに古い手法になってしまった国会等移転問題がうかびあがってくるでしょう。

東京の首都機能は移転すべきなのだ。別ブログの「クルーグマン」の記事参照。

 ともあれ、〇〇年代の東京は「発熱」の機会を逸したのです。グローバリゼーションや経済不況のためではありません。この都市の生態的な変成にズレが生じたのです。政策実行者も政策提案者も軒並みその理由がつかめず、目先のグラフの上下ばかりにうろうろしている。マクロな視点がまったく欠けているからです。

筆者が「グローバリゼーションや経済不況のためではありません。この都市の生態的な変成にズレが生じたのです」と述べているところはとっても重要。

  • 「パリとマンハッタンを追いかけて」

(中略)二十世紀の都市の概念を代表するのはニューヨークのマンハッタンです。ここの街区はグリッド状*3ですが、割りつけたのは開発業者。もっとも売りやすい建物の造れる地形になっています。そこに垂直と水平*4の大量交通機関が導入される。地下鉄とエレベーターです。マンハッタンは一応「島」になってはいるけど、グリッドは垂直・水平に無限に延長できるという特性を幾何学的にもっています(←動画)。それを電動力によって駆動される都市的インフラが貫く。あげくに超高層*5の乱立するスカイラインが生まれました。だがここにはかつての都市のもっていたまとまりはない。空間があるかぎりどこまでも伸張できます。そこで大都市(メトロポリス)と呼ばれることになる。

 マンハッタンのスカイラインは、いまでは世界中から模倣されています。世界の田舎と思えるような都市に行っても、やりたいのは「花たば(ブーケ)」と呼ばれる超高層群の開発です。そのシルエットはこのところ事件をおこしている金融工学理論の可視化だと言っていい。地割りは均等、高さはまちまち、姿は思い思いにファッショナブル。それが群として立ちあがった状態が「花たば」です。金額の違いでみずぼらしい場合もある。だけど大小にかかわらず金融工学=開発工学=建設工学というレベルにおいて原理はひとつです。

 東京は、明治以来の近代化過程において、国民国家像としてはパリを、そして資本主義国家像としてはマンハッタンを追いかけたと言えます*6。そっくり模倣しているとは言いません。むしろ稚拙にそれでも頑張ってきたと言えますか。六〇年代の「熱気」、八〇年代の「過熱」は、私はそれぞれの先進モデルを呑みこんだうえでユニークな何ものかに変成しようとしていたときの「発熱」だったと思うのですが、遂にシャキッとして解決法が見つからなかった。六〇年代には都市改造に過激な提案が数多くなされましたが*7、結末はEXPO'70の擬似的ユートピア。それは「未来都市のモデル」とうたわれていたのですが、未来はこんなものだったのか、といった失望になりました。*8

「生ぬるい都市-2」へ続く。「計画」と「規制」」へ続く。

*1:機能から構造へ-2」、「ユルバニスム」、別ブログの「抹消された「渋谷」」、「イオンレイクタウン」注釈3、「雑記5」注釈7、旧ブログの「誤算-4」の記事参照(「磯崎新」)

*2:空飛ぶ都市計画」の記事参照(「1960年代」)

*3:旧ブログの「誤算-2」、「表記-2」、「表記-8」、「Flamboyant」、「World of Tomorrowの補足」、「Integral Project-1」、別ブログの「抹消された「渋谷」」、「雑記3」の記事参照(「グリッド」)

*4:旧ブログの「Flamboyant」、「Integral Project-2」、別ブログの「別世界性」の記事参照(「垂直と水平」)。あと、「モダン・ライフ」と「城の暮らしの日常」も少し参照(「垂直と水平」)

*5:旧ブログの「ニュー摩天楼-1」、「ニュー摩天楼-2」、「Material World-2」、「Material World-5」、「World of Tomorrow」、「Integral Project-2」(動画)、別ブログの「」(動画)、「ファスト新宿」(動画)、「マンハッタンのゆくえ(前)」、「マンハッタンのゆくえ(後)」の記事参照(「超高層」)

*6:別ブログの「マンハッタンのゆくえ(前)」の記事参照(「東京は過去、様々な都市を模倣してきた。江戸時代では…」)

*7:機能から構造へ」、「機能から構造へ-2」、「機能から構造へ-3」、「ユルバニスム」(動画)、「メモ-2」の記事参照(「1960年代」)

*8:別ブログの「柏 マイ・ラブ」の記事参照(「隔離された過去」)

空飛ぶ都市計画

Episode.1 「ポータブル空港


Episode.2 「space station No.9


Episode.3 「空飛ぶ都市計画*1


1960年代に人々が想像していた近未来を舞台にしたラブロマンス(3部作)。*2

(追記)
対談 百瀬義行×中田ヤスタカ 「ポータブル空港」はこうして生まれた」(読売新聞、2004年6月8日)参照。

*1:旧ブログの「Computer City」の記事参照

*2:メモ-2」の記事参照(「1960年代」)

新建築2009年12月号

新建築2009年12月号」より、メモ。

  • 「安い、ということ」(伊藤弘、デザイナー)

ものの価格というのは、ある程度、製品やサービスの質をはかる尺度であったりすると思うのだが、どうやら昨今、様子はずいぶんと複雑になってきているようだ。以前の「安物買いの銭失い」的な単純な問題ではなく、安くてもこれで十分と言えそうな製品が、大々的に宣伝、販売されている。こうした背景には、地域の経済格差、流通経路などを含む、相当グローバルな企業戦略が背景にあると思われ、その安さが、どこに起因しているかは実にさまざま、なかなか一般論で語ることが難しい。しかしいずれにせよ、どんなに複雑であっても、安さには理由があることは確かだ。

そして、「その安さの理由が、犯罪ではないにせよ、ある種、倫理的にギリギリのラインに位置する場合もある」と警鐘を鳴らす。

(中略)製品の製造工程、流通の変革が常識となった今、ものを買うことの意味はネガティブな意味をもはらみつつ、以前に増して、重い一票になりつつあるのではないだろうか。
個人的には、ただ単に、歩いていける近所に立ち読みができる書店がなくなるのはさみしい、という理由で、便利なネット販売*1を避けて、可能な限り、商店街の小ぶりな書店を利用するようになって久しいが、これもまあ、実に面倒と言えば面倒なことだ。まったく、村上春樹ではないが、やれやれ……、のひとつもつぶやきたくなる。

と結んでいる。

  • 「私たちは明日住むべき都市、郊外、地方の風景を、具体的に描こうとしているか?」(馬場正尊*2、建築家)

最近気になっているのが、建築家や建築に関わる私たちが、人びとが今後住むべき都市、郊外、地方の風景を具体的にイメージできているか、いや、しようとしているか、ということだ。縮小する経済状況の中で、目の前の建築設計に没頭するあまり、それがおろそかになっていないか。

と提起して、筆者が直接インタビューを行ったという3人のケースをあげる。戦後、合理性を求めた建築家の清家清と、マクロ視点からの都市論を掲げた建築家の黒川紀章*3と、アニメ監督の宮崎駿*4宮崎駿の東京の未来像とは、「それは海の面積が広がるイメージで、ナウシカコナンに出てくる海に沈んだ都市」である。

(中略)リアリティはどうであれ、彼らは彼らの時代に、その立ち位置と時代に似つかわしいスタンスで風景を描こうとしてきた。実際その一部は実現したり、次の都市の風景をつくる牽引力になっている。

(中略)建築家は場所に対しても言及すべきだと思う。建蔽率容積率は、いったいどんなプロセスで決まっているのだろうか。それは都市の景観に決定的な影響を与えるにもかかわらず、建築家がその設定作業に関わっているという話は聞かない。都市の風景に言及しようとするなら、結局そこにたどり着いてしまうのだが。さて、どうすればいい……。(後略)

以上。

ところで、前回の「闘うレヴィ=ストロース」の記事で、「『タタ・ナノ』も日本に上陸すべきなのだ」と書いたけど、来週、日本に上陸する。と言っても、モーターショーだけどな。「福岡モーターショー2009」のHP参照(会期は12月11日〜14日)。

(追記)
クルマそのものの存在意義が問われている」(日本ビジネスプレス、2009年12月2日)の「低価格車がグローバル市場を席捲」のコラム参照。面白い。

*1:闘うレヴィ=ストロース」の週刊ダイヤモンド(11月28日号)参照

*2:別ブログの「アルチュセール」注釈3の記事参照

*3:機能から構造へ」、「機能から構造へ-2」、「機能から構造へ-3」の記事参照

*4:旧ブログの「Natural World-4」、「Natural World-4の補足」の記事参照

闘うレヴィ=ストロース

相変わらず、乱読中っす。今週も帰宅中に3冊購入した。というか、最近、3冊を同時に買うという変な習慣が身についた(w)。んで、早速、電車の中で渡辺公三著「闘うレヴィ=ストロース」(2009年)を読み始めた。以下、メモ(P.21-22)。

 調停が不可能になって思考が停止する「矛盾」ではなく、一見克服しがたい「逆説(パラドクス)」をつきつめてゆき、その過程を豊かな経験に転換する思考の流儀といったものがレヴィ=ストロースにはあるように思える。
 レヴィ=ストロースにとって『神話論理』の基本的なモチーフのひとつは、人間にとっての「感覚的なもの」と「理性的なもの」の対立を克服する方法はあるのか、「神話」はその答えではないか、という問いにあるといえるだろう。そのことは後に詳しく見てゆくことになる本書の主題のひとつでもある。

半分くらいは、既に知っている話ではあるけどな。まっ、とりあえず、これを読んで、今後はレヴィ=ストロースの「知ったかぶり」をする所存です(おいおいw)。*1

ちなみに、後の2冊は「民主主義が一度もなかった国・日本」(2009年)と「思想地図vol.4 特集・想像力」(2009年)。何かいいヒントはあるのだろうか。

先月は、数理経済学者の小島寛之の本を集中的に読んだ。まっ、前からこの方のファンではあるのだけど、ジョン・ロールズの「正義論」*2を最先端の確率理論から擁護する、という大胆な試みには嫉妬した(なぜ嫉妬するのかは意味不明w)。*3

他にはル・コルビュジエの本とか経済学の本とか戦後日本の本とか脱税の本とか、週刊東洋経済(12月5日号)*4とか週刊ダイヤモンド(11月28日号)*5とか、いろいろと瞬発力的に買っては乱読した。今月は少し控える(w)。以上っす。

(メモ)

<韓国>首都機能移転での混乱 李大統領が謝罪 計画も変更
毎日新聞、2009年11月27日)
 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領*6は27日、韓国西部の忠清南道に世宗(セジョン)市を建設して政府機関を移す首都機能移転について、計画を修正する意思を表明し「社会の葛藤(かっとう)と混乱を引き起こしたことについて申し訳ない」と国民に向け謝罪した。

(中略)首都機能移転は、忠清南道・燕岐(ヨンギ)、公州(コンジュ)などにまたがる地域に世宗(セジョン)市を建設し、経済官庁を中心に13省庁をソウルから移す計画。故盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が推進した。

これは残念なニュースかも。(ネットで)少し調べてみる。*7

他のニュースは、「ドバイ・ショック」は別として、池袋の三越跡地に「ヤマダ電機」がオープンした*8とか新宿に「H&M」がオープンしたとか渋谷に「ZARA」がオープンしたとか、、まっ、いいか。とりあえず、大雑把には、別ブログの「エソラ」の記事で「ららぽーと豊洲」を例にして書いたような、都市空間の(大型)専門店化が進行しているということです。ただ、「H&M」(や「ユニクロ」)のような「低価格」で商品を売る店が都心に進出しているという現象は、少し新しいかも知れない(少なくとも中心地理論では説明できない。ひょっとしたら、採算性を度外視して、ブランドの「広告」的効果*9を狙っているのかも知れない←超適当に書いてますw)。そして、「ZARA」は、「サプライチェーン方式」を採用していることでも知られている。

まっ、いずれにせよ、「しまむら」が銀座に進出しても僕は驚かない。「タタ・ナノ」も日本に上陸すべきなのだ。*10

(追記)
上記の週刊ダイヤモンドの記事を読んで、考え方を変えた。別ブログの「エソラ」の記事で、都市空間における「この国の『公共性』について考えるならば、『経済性』をフックにしなければならない」と書いたけど、この旗は降ろす。

新しい旗は、ジョン・ロールズ色(「公正」)とレヴィ=ストロース色(「多様性」)に染まるだろう、と、ぼちぼち(歩きながら)考え中。これは「新建築2009年11月号」の巻頭の「現代において集合住宅をつくる意味」(仙田満)を読んで感じた何かとも、関係している*11。上記の小島寛之の本とも、関係している。まっ、とりあえず、上記の「闘うレヴィ=ストロース」を読み終えてからよく考える。

それと、前に「コーリン・ロウ-2」や「コーリン・ロウ-3」の記事で、コーリン・ロウとの比較で、「レヴィ=ストロースは『多様性』という概念を、上記のような意味で用いてはいない」と書いたけど、これは「多様性」の日本語訳の問題かも知れない、とふと気になった(歩きながら)。例えばロバート・ヴェンチューリ著「建築の多様性と対立性*12の原題は「Complexity and Contradiction in Architecture」だったりする(「diversity」ではなく「complexity」が「多様性」と訳されている)。これはちゃんと調べないとイケナイ、と思ったけど、まっ、別にいいか(こらこらw)。忙しいんです(←言い訳)。

*1:環境のイメージ」の記事参照(「感性の領域を理性の領域に、前者の特性を少しも損うことなしに統合することを企てる」)

*2:コーリン・ロウ-3」、「メモ-2」の記事参照(「正義論」)

*3:小島寛之著「確率的発想法〜数学を日常に活かす」(2004年)も参照

*4:旧ブログの「東京ディズニーランド」、「Freedom-1」(コメントも)、「Airplane House」の記事参照(「ディズニーランド」)

*5:別ブログの「雑記6」の記事参照(「ネットスーパー」)

*6:李明博は元ソウル市長で、「ソウルの中心部を通り抜ける清渓高架道路を取り除くことで、市民の大切な憩いの場『清渓川』を復元した」ことでも知られている。旧ブログの「TRANSPARENCY」の記事参照

*7:別ブログの「クルーグマン」の記事参照(「首都機能の移転」)

*8:別ブログの「マンハッタンのゆくえ(後)」の記事参照(「ドバイ」、「ヤマダ電機」)

*9:別ブログの「抹消された「渋谷」」の記事参照(「広告都市」)

*10:別ブログの「100年後」の記事参照(「社会のシステムが変わる」)

*11:主題から少し外れるけど、このエッセイで建築家の仙田満は、「『21世紀の地方都市はコンパクトシティを目指さねば』と言われているが、実際には住宅政策がない。デベロッパーに任せ放しである。そこにコンパクトシティを実現できる道筋は見えない」とも述べている。旧ブログの「Integral Project-3」の5の記事参照(「海外の『コンパクトシティ』では、同時に、低所得者用住宅を建設する等によって、社会全体のバランスを取るけど、日本では、なぜかそこは市場経済を重んじる、という立場となる」)

*12:別ブログの「ノエル」の5の記事参照(「建築の多様性と対立性」)

メモ-3

おお。

これは面白い。*1

ポイントは、1)不労所得の問題、2)都市集中について、3)問題を解くということ。

んで、僕の文脈では、
1)は、エベネザー・ハワード。*2
2)は、リチャード・フロリダ。*3
3)は、まっ、僕の「Z主義」。*4
となる。

うーん、久々にまともな意見を聞いた。というか、まともな意見が隠れつつあるのかもな。

最近、ペット・ショップ・ボーイズの「I'm With Stupid」(2006年)の曲を思い出す。まっ、いずれにせよ、今の東京に必要なのは「土地税制の改革」なのであり、街に広場をつくるとかコミュニティをつくるとかの議論は、全く本質的ではない(パターナリズムである)のだ。

*1:博士の異常な鼎談」(11月5日放送、TOKYO MX)。別ブログの「100年後」の記事参照(ひろゆき)。

*2:ハワード著「明日の田園都市」の「序言」(F.J.オズボーンによる)によると、「(前略)若いハワードは(中略)当時、土地問題に非常な関心をもっていた他の穏健な改革家のサークルに入った。ヘンリー・ジョージの<単一税>と<土地の国有化>と貧困と都市のむさくるしさの問題には、土地の所有権と土地の価値(ランドバリュー)が関係ありとする多くの他の提案は、このグループの精神的な糧であった」。ヘンリー・ジョージは「進歩と貧困」(1879年)の著者で、「単一税」とは、「法律的な土地私有権はそのまま維持し、ただ不労所得である地代を廃することによって、実質的に地主の力を消殺し、地代は租税の形式で、すべてこれを国庫に徴収し、しかもあらゆる公課をこれで代表させようとするもの」である。ちなみに、経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、「隷属への道―全体主義と自由」(1944年)で、というか、渡部昇一著「自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す」(2008年)からの孫引きなのだけど、「私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それを所有しない者にとってもそれに劣らず、最も重要な自由の保障である」と述べる一方で、「個人の私有財産から所得が発生しないようにさえすれば、所得格差は現在のままであっても、多くの社会主義者たちが抱いている正義の理想は満足されるということは真実である」と述べている。また、ル・コルビュジエは、CIAMを結成した1928年に、土地の再編成の理論を提示している。「この土地の再配分というのは、どの都市計画においても欠くことのできない基本問題であり、共有の利益の労働から生ずる余剰価値を、地主とコミュニティとに公正に分配することが含まれねばならない」と述べている。僕が別ブログの「雑記6」で、「考えをどんどん煮詰めて行くと、『経済格差』問題に行き着いてしまう」と書いたのは、大体こういうことである。個別的には、旧ブログの「Integral Project-2」(「家賃の傾斜」)、別ブログの「」(「外形標準課税」)、「柏の葉から考える」(「土地の独占禁止法違反だよ」)、「雑記3」(「土地所有者」)等の記事参照。

*3:別ブログの「フロリダ」の記事で詳細に書いた。

*4:別ブログの「アルチュセール」の記事参照。要は、僕は「地方都市の中心市街地を再生させる必然はない」と考えているのだけど、その衰退が「問題」であると人々が言うのならば、その「問題」を解いて、解決策を提示してみたくなる、というおかしなスタンスのこと。まっ、根本的に僕は「ファスト風土」人間なのだ。旧ブログの「想像界 写真銃-3」の記事参照(「今日では、問題が提起されれば、宿命的に解答が見出される」、ル・コルビュジエ)。