理想都市

(「ダ・ヴィンチの都市計画」の続き)

日端康雄著「都市計画の世界史」第1章「城壁の都市」より。

 一五一六年、トーマス・モア(一四七八〜一五三五)が、貴族と農民などの社会階層間の闘争が激しかった時代に、平等な共同体を描いた理想的社会「ユートピア」を提案している。ここには建築的表現はないが、理想的都市像が描かれている。つまり、それは城壁に囲まれた方形の都市で、建物は三階建て、町は四つの街区に分かれてそれぞれ真ん中に市場が開かれる広場がある。

 理想都市とは、「政治的、軍事的、あるいは教育的理想を実現するために、都市の理論と科学を武器にして、理想的形態(規則的あるいは不規則でも、ともかく人間の意思で明確に規定された形)にデザインされた都市」*1のことである。

 その頃、ヴィトルヴィウスが古代ローマアウグストゥス帝の時代に書いたといわれる『建築書』が一〇〇〇年以上経て発見され、一四世紀終わりから一五世紀はじめにかけて再評価された。これがルネッサンスの都市論に大きな影響を与えた。

 ヴィトルヴィウスはこの書の最初の部分で、都市建設について、大略次のようなことを述べている。

 都市の立地は、地形的に高い位置を選び、気象条件が良いこと、都市の市民を養うのに十分な農産物の収穫が周辺農地や農村にあること、道路建設と河川の利用によって交通の便が確保されること。これらの条件を満たす敷地は、防衛を目的に頑丈な城壁で囲み、塔で補強すること。城壁の形は敵をどこからも見通せる円形とし、塔も円形か多角形で城壁の外側に張り出すように建てること。さらに、風をうまく避けるように都市内部を通すこと。神殿と広場の位置は海に沿った街では港の近く、内陸では町の中心にすること。

 ヴィトルヴィウスの『建築書』に描かれた放射状街区を持った正八角形の理想都市案(下図)がかなりの影響を与えた。そして、中世的な空間秩序に独特の形状を重ねたルネッサンスの理想都市案が数多く提案され実現した。

(続く) →「ダ・ヴィンチの理想都市

ところで、建築家・都市計画家のレム・コールハースは「コールハースは語る*2(2008年)第2章「ヨーロッパについて」で、こう語っている。

 ルネサンスという時代は、ある種の現代性を確立したのですが、それは過去を研究することに基づいていながら、ノスタルジックなものではなかった。*3

 ルネサンスという時代の最も驚愕すべき点は、当時の人々が古代を研究していたまさしくその時に、古代の新たな事実が地上にもたらされていたこと。つまり文字通り日々遺跡が掘り起こされていたのです。それが既存の解釈をがらりと変えた。したがって、古代は過去であっても、常に推敲され続けるダイナミックなプロセスだったわけです。

*1:中嶋和郎著「ルネサンス理想都市」(1996年)

*2:ちなみに、ブログタイトル「mise en relation」(「関係性に委ねる」)の元ネタはこの本(P.104)にある

*3:別ブログの「雑記5」の記事の注釈8参照(「ノスタルジー」について)