機能から構造へ-3

(結論は、前記事「機能から構造へ-2」で書いたけど、もう2例書いておく)

黒川紀章著「都市デザイン」第二章「機能的都市の成立と変質」(1965年)より。

キャンディリスのトゥールーズ都市計画

 一九六二年四月フランスで行われたトゥールーズ・ミレーユ都市計画の競技設計では、チーム・テンのメンバーであるフランスの建築家、キャンディリス、ウッヅ、ジョジック等による案が一等に当選し現在実施に移されている。

トゥールーズ・ミレーユ計画(図の左下)、右上は旧市街、航空写真ストリートビューも見られる)

 この案はあきらかにスミッソンの<空中歩廊>の発展と見られるのだが、<幹(ステム)>と<クモの巣(ウェブ)>という二つのシステムを発見しているのが特徴である。<幹(ステム)>とは、道路、遊歩道、上下水道、電気、ガス、商業施設、文化施設、教育施設、娯楽施設を内包した都市の基本的骨組(インフラストラクチャー)である。そして、<クモの巣(ウェブ)>は、この<幹>にとりつく住空間であり、それぞれが、六角形の網目を構成できるようなクモの巣状の配置システムをもっている。(中略)この都市の建設は注目をあびることだろう。

ネットでぱらぱらと見てみると、まっ、その後の評価(評判)は、やや微妙かも知れない。でも、それ以前の機能主義の都市理論(CIAM理論等)では、「日照」を優先して、住棟を平行配置する*1ことを推奨していたことと比べると、それとは異なる秩序(構造)からの再編成を試みている点は留意してよい。

ヴァン・アイクによる暗示

 チーム・テン・ロヨモン会議*2のテーマに述べられているもうひとつの方向、つまり、都市が基本的な骨組(インフラストラクチャー)なしで成立できると考えるのは、オランダの建築家ヴァン・アイクである。

 彼は、現代の都市を、中世の広場のようなコア(核)や、巨大なスケールのインフラストラクチャーなしで、身近な住空間の集積としてつくっていけないものかと考えている(中略)。彼は、「都市は大きな住宅であり、住宅は小さな都市だ」という。そして、彼の空間的イメージは、アメリカ・インディアンの都市プエブロにあるらしい。

 プエブロは、全体が粘土で固められた住宅の積み重ねでできており、都市の基本的骨組とか、権力者の宮殿はどこにもない。(中略)一人一人が勝手に自分の家をつくり、他人の家の屋根を道にし、行きどまりになればハシゴをかけて登り降りし、あるときは天井から家に入る。「市民のために、市民によってつくられた市民の都市」だというのである。

ネットでぱらぱらと見てみると(またネットかよ?)、ヴァン・アイク(やヘルマン・ヘルツベルハー)の建築*3では、小さな塊に分解された空間(「空間素」と呼んでもよい)が、再び「集合せよ」と命令されて、一つの集合体(プエブロの都市のような小さな塊の群れ)となっている。うーん、もう少し詳しく書くと、小さな塊に分解された空間を、「ライフサイクルの長い空間」と「ライフサイクルの短い空間」に区別して、その区別に基づいた何らかの関係性の規則(普遍の特性を保持する)を導入して、秩序のある集合体(構造)を形つくっている。よって、このような建築(集合体、構造)は、竣工後に予想される増改築(成長・変形)に対しても、それ以前の機能主義建築よりも柔軟に対応できる(と認識できる)ということになるのです。

(以上)

あと、この本の著者(黒川紀章)が設計した「中銀カプセルタワービル」(日本の「メタボリズム」の代表的な作品、1972年)が、なぜあのような形をしているのかは、上記の2例から、何となく分かるのではないかと思う。日本の「メタボリズム」建築の特徴は「垂直性」にあるのかも。(同書には、もちろん、この「メタボリズム」についても、詳しく書かれてある)

(追加)

建築家のピエト・ブロム(ヴァン・アイクの弟子)が設計した「キューブハウス」(集合住宅、ロッテルダム1984年)の動画。(航空写真ストリートビューも見られる)

*1:木賃アパートと団地」の記事参照

*2:前々回の「機能から構造へ」の記事の「1962年にパリで開かれたチーム・テンの会議」のこと

*3:アムステルダムの孤児院」(ヴァン・アイク、1960年)、「セントラル・ビヘーア・オフィス」(ヘルマン・ヘルツベルハー、1972年)等々。プエブロの都市のように見えるし、近代建築のようにも見える